「仏教・エロスと救い」

「生命との対話 仏教・エロスと救い」(瀬戸内寂聴・ひろさちや/主婦の友社)

→釈迦の人気というのはいったいなんに由来するのだろう。
この対談集でもご両人、釈迦がお好きなようで彼を肴に話が盛り上がっている。
寂聴さんの釈迦への思い入れは激しく、
原始仏教が女性差別的な理由を、釈迦が女性の魅力をよく知っていたからだと論じている。
ったく、見てきたようなことを言いやがって、とこっそり思ったが、
いざ寂聴さんのあの迫力をまえにしたらとても口に出して言えることではない。
ふたたび、釈迦の魅力とはいったいなんなのだろうか。
仏教をかじったもののだれもが引っかかるトゲは大乗仏教と釈迦仏教の断絶である。
どう考えても明らかに釈迦は大乗の教えなど説いていないのである。
冷静に考えたら、後発の大乗仏教が釈迦の威光(肩書)だけ借りたのはわかるはずである。
寂聴さんも本書で原始仏教の教えはつまらないと本音を言い放っている。
だがしかし、それでも寂聴さんは釈迦のファンをやめようとしないのである。
ライターのひろ氏が釈迦を好きなのは学者出身で礼儀を知っているからだろう。
中村元に唾を吐いたらどんな仕打ちが待っているかをひろ氏はよく知っている。
学問というのは、上役は上役だから偉く正しいことを認めなければやっていけない。
このため、開祖の釈迦が偉いという思い込みをひろ氏は持つにいたったのだろう。

どうでもいいわたしの話をすると、
いちおう人並みに大乗仏教と釈迦の乖離(かいり)に戸惑った。
厚顔で礼儀知らずのわたしはどうしたか。なーんだ、釈迦って偉くないじゃん!
このことに気づいたら大乗仏教の矛盾もすんなり解くことができるようになった。
本当に偉いのは名義だけ釈迦を借りて、大乗仏教を創作した人たちではないか。
しかし、だれもがこうシンプルにいくわけではない。
たぶん、わたし以外に釈迦があまり好きでない仏教学習者はいないと思う。
いま世間様の目が怖く「釈迦が嫌い」とストレートに書くことさえできなかった。
そのくらい釈迦批判はこの世ではしてはならないタブーになっている気がする。

わたしが釈迦を嫌いな理由は寂聴さんとおなじで教えがつまらないからである。
インド旅行中に「ブッダのことば(スッタニパータ)」を読んだが、
あまりの退屈さに文庫本丸ごとガンジス河に流してやろうかと思ったくらいだ。
わたしは原始仏教の教えがつまらないと言える寂聴さんの眼力に感心する。
みんな本心では釈迦の教えの退屈には気づいているだろうが、
周囲の目を考えるとなかなか公言できることではない。
それでも寂聴さんのような女性が釈迦を好きなのはわからなくもないのである。
釈迦は誕生時にお母さんを亡くしている。
釈迦が産まれなかったらお母さんは死なずに済んだのである。
自分がお母さんを殺したと思ったことも釈迦はあるのかもしれない。
こういう男は女性の母性本能をくすぐるから、女性が釈迦を好きなのはいい。
だが、男だ。おい男! おまえだよ男!
男で釈迦が好きなどと言っているものは権威主義の香りがプンプンするぜ。
「釈迦を好きな俺」って偉くないか、わかってないか、どうだ、おい、どうや!
ひねくれた性分のせいか、釈迦好きの男からは変な叫び声が聞こえてくる。

本書の対談で寂聴さんと格下のひろさんが論争のようになっているところがあった。
本来なら格下で年下のひろさんが引くべきなのだろうが、ここだけは男気を見せていた。
問題となったのは、努力の是非である。
ひろさんはがつがつした努力はかえってよくないという立場をずっと取っている。
いっぽう寂聴さんはこの本で知って驚いたが相当な努力教の信者らしいのだ。
自分の成功は自分がそれだけ努力したからだとかたくなに信じているようである。
ふたりはなんとか落としどころを作ろうとしていたが、結局平行線のままだった。
最近、「どっちも正しい」ということにわたしも気づいた。
寂聴さんもひろさんも、どちらも正しいのだろう。
このブログには努力有害論のようなものばかり引用してきたので、
今回は寂聴さんの努力至上主義そのもののご発言を紹介させていただく。
ホスト役のひろさんが必死にことを穏便に済ませようとねらって言う。
「精進しなくてはいけない。でも、歯をくいしばって、
目を血眼(ちまなこ)にしてまで努力する必要はないと……」
寂聴さんはひろさんが差し出した手を振り払う。

「でもね、ほんとうは歯をくいしばってやらなければ、ものになりませんよ。
何をやったってそうです。ただ楽しくやっていては、誰がものにできますか。
小説家だってそう、学者だってそうでしょう。
ひろさんだって人に知られないときに一生懸命に勉強されたでしょう。
わたしだって、やはり人が遊んでいるときに本を読んで書いているから、
ちゃんと小説家として成り立つんです。
ひろさんは先ほどから、
勤勉でない世界が楽しいということにもっていこうとしているのに、
わたしが一生懸命反対するから困っているみたいですね。(笑)」(P127)


ひろさん、喧嘩をしたら体力的に寂聴さんに負けそうだもんね(失礼!)。
ちなみにふたりの年の差は14歳である。
論争は寂聴さんの高笑いで終わったが、長生き競争に勝つのは果たしてどちらだろう。
14年の差をものともせず寂聴さんが勝ち残るような気もして女は恐ろしい。

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