「南無そのまんま」

「南無そのまんま」(ひろさちや/ビジネス社)

→きっとわたしも含めてみんな他人の欲望を生きているんだろうな。
銀座のバーで山盛りのキャビアをシャンパンで流し込みたい、
なんていう俗っぽい願いは他人の欲望の最たるものだと思う。
なにかで表彰され受賞パーティーでドヤ顔をして、
「みなさんのおかげです」なんて言うのもそう。
本当はきれいな女の子が好きなのではなく、
連れて歩いて世間に見せびらかしたいのかもしれない。
人様に見せつけたいがためにイケメンを必要としている女子もいるだろう。
きらきらした夢なんてほとんどどれも他人の欲望のような気がする。

どうして自分の欲望ではなく、他人の欲望を生きようとしてしまうのだろう。
まず自分の欲望がよくわからないということがあるのかもしれない。
それよりなにより自分に自信がないのかもしれない。
自分の欲望にさえ自信がない。
こんな欲望充足で幸福になっちゃいけないんじゃないか、
と周囲をきょろきょろ見回してしまう。本当はそれでいいのにね。そのまんまでいい。
だから、受賞歴ゼロの宗教ライターひろさちや氏は「南無そのまんま」と言うのだろう。
他人の欲望を生きることはない。いまそのまんまでいい。そのまんまのあなたでいい。
怒りも悲しみも嘆きもそのまんまでそのまんまの味がある。
どうしてそのまんまではいけないと思ってしまうのだろう?

「日本人はみな、他人がどう生きたかを知りたがったり、
有名人の生き方を学ぼうとしたりする傾向がありますが、それはおかしいと思います。
というのも、人間というのは結局、自分の生き方しかできないからです。
それなのに世の中の人々は他人の生き方を一生懸命になって知ろうとする。
非常に馬鹿げてると思います。(中略)他人がどう生きたかを知り、
それを手本にして生きようなんていう考えはきれいさっぱり捨てたほうがいいと思います。
第一、「あの人があんなふうに生きたから、よし、オレも真似してみよう」
と思ったところで、できっこありません。人はみな、
生きている条件が違うんだから、他人の生き方が参考になるはずはないんです」(P6)


「○○さんのようになりたい(お目めキラキラ)」を全否定する言葉である。
どうやったって、どうしたって○○さんのようにはなれないのに、
ついうっかり愚かにも我われ(いや、わたし)は自分から逃げようとしてしまう。
与えられた自分という役しかできないのに、そのまんまであることを拒絶する。
しかし、まったくひろさんの言うとおりで他人の生き方を参考にするなんて馬鹿げている。
劣化版○○とか物まね芸人ならともかく、人生でそれをやっちゃいけない。
たぶん人間の一生は、自分という役をしぶしぶ引き受ける道のりなのだろう。
いやだいやだと言いながら。
くうう、おれもひろさんのような怪しさ満開のいかがわしい宗教ライターになりたかったぜ。
今日これを機会にその夢を捨てて自分に向き合うことにする。うん、約束だ。

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