「お経がわかる本」

「お経がわかる本」(藤井正雄/双葉社)

→これはとんでもない掘り出し本だった。
宗派にとらわれず15のお経がレイアウトもよく収録されているのがいい。
この本では日本高僧の言葉なども実際に唱えられているものはお経というあつかいだ。
どうしてこの本がいいかというと、
それぞれの教相判釈(きょうそうはんじゃく)ができるからである。
むかしの中国人も思い悩んだらしい。
どうしてこんなに相互に内容の矛盾のある仏典がたくさんあるんだろう、と。
で、チギというその筋では有名な坊さんが適当な物語を作ってお経の優劣を定めた。
これがチギの教相判釈である。
しかし、チギが知らなかったことも、いまを生きる我われは知っているのである。
つまり、大乗仏典は釈迦となんの関係もないインド人詐欺師のたわごとであることを。
チギももし本当のことを教えられていたら、おしっこちびっちゃったかもね。
日蓮宗系の人はチギを崇拝しているようだが、
大声じゃ言えないけどここだけの話まあその程度の人なんだ。
べつにチギの教相判釈が正しいなんていう根拠はどこにもない。
むかしは中国も威光があったけれども、いまはあれな国なこともある。
我われがチギから学ぶことがあるとすれば、
それぞれ各自でチギのように教相判釈をやればいいんじゃないかということである。
くだけた言い方をすれば、みんな、チギろうぜ! ってことだ。
15もお経が入っているから読者の多様な好みにも対応できるはずだ。
お経なんてさ、それぞれが好きなものを好きなように読んだらそれでいいと思う。
どうせどれもインチキなんだから……は少し言いすぎで、舌禍を引き起こしかねない。
それぞれのお経がそれぞれの人にとって真実であるのだと思う。

この本ではじめて「修証義」(曹洞宗)を目にした。
俳人の山頭火の日記に何度も出てくるのでいつか読みたいと思っていたものである。
感想は……ええと、それほどのもんじゃないような気が。体質に合わないだけかもしれない。
まだ機縁が熟していないので理解できないのだという可能性もある。
こうやってお経が並べられると「正信偈」(浄土真宗)の芋臭さが際立つ。
並べられてはじめてわかるそれぞれのお経の美点や欠点もあった。
毎日おなじものを読経せず日によって気分まかせに変えるのもいいだろう。
そういうことが気楽にできるのも本書の特徴のひとつである。
お経を侮るなかれ。我われが「運のようなもの」にアクセスしようとしても、
いまのところ安価でそれをなしうるのはちょっと読経くらいしかないのではないか。
毎日お賽銭箱に十円入れるよりも読経したほうがアクセス感がないだろうか。
毎日各種の占いを読むのもいいが(やってます!)読経のほうが能動的だろう。
「運のようなもの」の機嫌ひとつで自分や周辺にわざわいが舞い込んでくるのである。
どうにかしてそこにアクセスしておきたいというのは人情ではないだろうか。
とはいえ、読経を人にすすめるつもりなんてさらさらない。
わたしだってそのうちやめてしまうかもしれない。復活することもあるだろう。
べつに読経の代わりにヨガをするのでも瞑想でも、なんだっていいと思う。
あんがいお経の数がこれだけ多いのは「人それぞれ」に対応してくれているのかもしれない。
人の数だけ真実があると思っているわたしにとってお経の多さはなによりである。

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