「数字のホント? ウソ!」

「数字のホント? ウソ!」(加藤良平/ベスト新書)

→これもたいへんお勉強になるいい本だった。
適宜感想をまじえながら理解できたところをノートふうにまとめてみたい。

・数字はなにやら客観的っぽいので詐欺に使えばうまく相手をだませる!
オレオレ(振り込め)詐欺ではかならず細かな数字が使われるらしい。
何時に何歳の人が全治何ヶ月程度のけがをして何時に警察署から……。
☆だから、だましの詐欺学問、心理学や社会学はやたら数字を用いるのだろう(笑)。

・数字が入っている意見だからといってすぐ信用してはならない!
1.某リゾート地で盗難にあう日本人の7割は女性だから、
そこでの盗難保険料は女性をより高くすべし。
(そのリゾート地に行く日本人の7割以上が女性かもしれない)
2.某社で健康診断の一次検査で引っかかった人のうち8割以上は
年間残業時間が400時間を超えていた。だから、やはり過度の残業は健康によくない。
(同社の従業員の大半が、年間残業時間400時間以上かもしれない)
3.某中学校では朝食を取らない生徒のうちの8割が注意力散漫。
だから朝食はきちんと食べたほうがいい。
(その中学校で注意力散漫児童が8割以上いるのかもしれない)
4.(人事部長が社長に)新人社員の7割が3年以内に離職してしまう。
だから、社長、いまの若者はだらしない。セミナーで鍛えなおしましょう。
(そもそも会社全体で離職率が高く平均して3年もいないのかもしれない)
☆数字は嘘をつく! たえず全体(母集団)と比較しなければならないのだろう。

・近代資本主義はネズミ講に近い。みんなが幸福になることはない。
だれかの資本がプラスになったということは、だれかがマイナスの被害にあっている。
資本主義経済に先に入った国ほど後進国から搾取して利益を上げてきた。

・確率を信じていない数学者もいるそうである!!!!!!
天気予報の降水確率30%とは、
おなじような気圧配置が100日あったらそのうち30日は雨が降るという意味。
いわば机上の空論だから、確率予報など意味がないという考え方も可能。
「明日とおなじような日が100日あれば」といっても、実際は明日は明日しかない。
確率はたしかに多数回の繰り返しのなかでは意味を持つが、
現実として1回しかないもののなかで確率を考えても仕方がないのではないか?

・しかし、と著者は反論する。確率にまったく意味がないというのは賛成できない。
これはものすごい重要な問題をはらんでいるような気がする。
サイコロの「1」が出る確率は無限回振れば1/6になるというのが基本ルール。
ならば1回限りの試行において確率の意味はないのか?
著者が出した仮想ケースはこうである。
悪魔からサイコロを差し出され、こう問われたらどう答えたらいいか?
ふたつのうちどちらかひとつの条件を選べ!
「1回だけ振って1の目が出たら助けてやるがそれ以外ならおまえを殺す」
「1回だけ振って1の目が出たらおまえを殺すがそれ以外なら助けてやる」
☆なんか直感的にこの設定はずるいような気がする……。
1回しかサイコロを振らないとき(一発勝負!)、
確率はほとんど意味がないのではとどうしても思ってしまう。
この問題は考え続けていきたい。だれかわかったら教えてちょ。
人間が手を出せない宗教の問題っぽいけど。

・野球の2チームによる10戦の勝敗などたかだか1024通りにすぎない(引分を除外)。
だから、1024パターンの結果を予想して1024人に伝えれば、
そのうちの1人は当たるから、その人にだけは予知能力者だと思ってもらえる。
102400人に伝えれば100人があなたを霊能者かなにかと思うだろう。
1024000人に伝えれば1000人があなたの信者になってくれるかもしれない。
そうだとしたら、一見すると奇跡的なことも確率的な事実にすぎないのだろう。
たまたま当たったのは努力の結果ではなく確率的現象のひとつでしかない。

・数字は伝え方しだい。
「この薬を服用すると5%に重大な副作用が発生します」
「この薬を服用したら20人に1人重大な副作用が出ます」
「この薬を服用したら100人に5人だけ重大な副作用が出ることがあります」
「この薬の副作用? 100人服用して95人が大丈夫というデータがあります」

・宝くじの1等が当たる確率は当選者がその日に交通事故死する確率よりも低い(半分)。

・原爆の実用実験をする際に地球全体が死の星になる確率が理論上は百万分の3あった。
核融合の結果、地球が太陽のようになる可能性も百万分の3は考えられた。
まあ無視してもいい数字だろうということで思い切ってやったらしい。
実験の結果、大丈夫で「結果的に正しい」ことが証明され、広島、長崎に落とされた。
☆「結果的に正しい」という言葉はものすごい真理を言い当てていないだろうか。
「正しい」かどうかはやって結果を見てみないとわからないところがある。
すべての理論は仮説にとどまっているうちは正しさを証明できず、
リスクを負いながら冒険を実際にやってみて結果的に正誤を判断するしかない。
「やってみなくちゃわからない」というのは、ほとんど絶対的真理に近いのかもしれない。

医者「手術の成功確率は90%です」
患者「本当はやってみなくちゃわからないんでしょう?」
医者「そ、それは……」
患者「やってみなきゃわかりませんよね?」
医者「……はい」
患者「成功確率10%の難しい手術もやってみなくちゃわからない?」
医者「……そ、そういうことになります」
患者「結局は……運?」
医者「……いや、その、どうなんでしょうね(わからない)」


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