「数学的思考の技術」

「数学的思考の技術」(小島寛之/ベスト新書)

→とても批評するほどの学はないのでお勉強メモに徹する。

・賦課方式の日本の年金は決して破綻しないネズミ講。
親(第1世代)のみ年金を払うことなく、もらうことができる。考えたものは悪魔的天才。
もし人口が永遠に増えつづけていくならば最強のネズミ講であった。
人口が減少することを年金設立時は考えられなかったのだろうか……。

・確率を客観確率と主観確率にわけて考えるとわかりやすい。
「5年生存率70%」は客観的にはよさそうな気もするが(客観確率)、
いざ自分がそう告知されたらいろいろ悩むので生存確率が下がってしまう(主観確率)。
反対に客観確率は低いのに「いけそうだな」と主観確率が高い場合もあろう。
たぶん主観確率は自信や不安というメンタル的なものと関係しているような気がする。
2000年代初頭の日本の金融不安のとき、政府は危ない銀行を公表しなかった。
「X銀行の破綻の確率は10%」と公表してしまうと、
客観確率はたかだか10%だからまあ大丈夫なのだが、
X銀行の預金者は不安になり(主観確率)他の銀行に移そうと大騒ぎすると考えられたから。
そうなると、X銀行の破綻確率は70、80%まで上昇してしまう。
結果として「X銀行の破綻の確率は10%」は嘘になってしまう。
X銀行自体の破綻は政府が食い止めても、政府の信用が失墜してしまう。
もしこれが本当だとしたら政府は福島の放射能問題についてもいろいろ隠しているのだろう。

・保険は確率の考え方を用いて人の不安を消す商売である。
1000人に1人かかる病気があるとする。この病気には100万円の治療費がかかる。
もし1000人が1000円ずつお金を出し合って、
運悪くその病気になってしまった人に100万円を渡せば彼は助かることになる。
残りの人も1000円払うだけでその病気になる不安から逃れることができる。
問題なのは2人が病気になってしまうことだが、
保険の加入者が増えればそのぶんだけ病気の発生確率は1/1000に近づく。
(サイコロの目は振る回数が多いほど1/6に近づく=「大数の法則」)
国がする公的保険は「大数の法則」の適用が可能というプラス面がある。
しかし、企業努力をしないので民間の保険も意味がある。
とはいえ、競争過剰になると
民間保険は一社ごとの加入者が減り「大数の法則」が保てなくなる。
結果として保険料が上がってしまうから民間保険が最良というわけでもない。

・経済学は「どうしたら儲かるか」を考える学問ではない。
いかにしたらみんなが幸福になれるかを研究する、どこか夢見がちなところがある理想論だ。

・貨幣は欲望を根本として生み出された。
A、B、C、D、Eそれぞれの欲望と所有物が違うので物々交換はうまくいかない。
そこである紙切れを貨幣とみなが信用することで、欲望の相互充足が可能となった。
女子高生のA子はかわいい服を着て好きな歌手のイベントに行きたい。
そのためにはみなが価値があると信じている紙切れが必要なようである。
結果としてA子は彼女の身体を欲望する中年男に自分を与え紙切れを得るわけである。
ほら、みんながチョー幸福になってるでしょ? あたし高校生だけど経済学わかった♪

・ケインズ理論によると、穴を掘ってまた埋める作業でも失業手当よりはマシとなる。
それさ、どっかおかしいんじゃね? と疑われているが、
近所の荒川土手はいつも不要な工事をしているから、まだ信じている人もいる模様。

・インターネットの無料文化は歴史上かつてなかった金銭を媒介としない相互取引市場。

・貨幣は言葉のようにそのものは定義できず、ただ実際の使用の面からのみ語られうる。

・「正しい選択」はかならずしも「正しい結果」ではない。
「正しくない選択」から「正しい結果」がもたらされることもある。
選択と結果のあいだの理不尽なブラックボックスはまだだれひとりとして解明していない。
90%の確率で成功する手術でも失敗してしまうことはあるということ。
そんなことをしたらダメと言われているアイデアでも成功することがあること。
「ことが起こるまえの正しさ」と「ことが起きたあとで振り返ったときの正しさ」は違う。
くだけた言い方をしたら「やってみなきゃわからない」というのがこの世界である。
そんな恐ろしい世界のなかで、しかし我われは不断に選択しながら生きている。
しかも選択には生きているかぎりのあいだ責任がつきまとう。
にもかかわらず、「正しい結果」を導く「正しい選択」は、
いかに学問的に研究しようが永遠に出てこないというほとんど絶対的な矛盾が存在する。

☆選択→?→結果(責任)

「胸をさくほどの悲運も、やっかんでもまぶしいばかりの栄冠も、
みなこの「正しい選択」とやらの帰結なのだ」(P235)


(正しさを求める)学者の著者に言ったら怒られそうだが、
「正しい選択」なんてやめてシンプルに好きなほうを選択するほうがもしかしたらいいのかもね。
一度選択したら過去に戻って選択しなおすことは絶対にできないから証明しようがないけれど。
でも、好きなほうを選択して失敗したのならあきらめがつくと思う。
みなが言っている「正しい選択」とやらをして失敗したらなんだかバカみたいではないか?

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