「「治らない時代」の医療者心得帳」

「「治らない時代」の医療者心得帳」(春日武彦/医学書院)

→副題は「カスガ先生の答えのない悩み相談室」。
精神病の、いや精神科医の春日武彦さんの本を何度も笑いながら楽しく読む。
若き医療従事者に向けて書かれた言わばマニュアル本である。
たとえば、もう治らない患者から「このまま、わたし、死んじゃうんですね」と言われたとき、
果たしてどう答えるのがいいのか――。
精神科医がおのれの臨床経験から編み出した答えを提示する。
「もう生きているのが嫌になりました」が独り言の定番らしい春日先生の、
精神科医をしている楽しみはふたつあるという。
ひとつは人間観察を通して新発見があること、
もうひとつはコントロール願望が満たされること。
こんな正直に本音を言い放つ春日武彦先生が大好きである。
向こうはこんなひねくれた読者は嫌いだろうが(あ、関心がないか)、
いくら人間コントロールが趣味の精神科医も人の好き嫌いまでは支配できまい。

いままでブログに春日さんをひどい人のようなことを書きすぎたようである。
意外といい人じゃん、と思った「希望の香り」ただようエピソードを紹介したい。
統合失調症で人格水準低下が進んだ独身の熟年男性患者がいたという。
いつもどうせかないっこない「フレンチレストランを経営したい」という夢を語っていた。
そこで春日さんが意地悪な関心から、ならコックさん、
どうかひとつプレーンオムレツを作ってくださいよ、と言ってみたそうである。
どうせオムレツひとつできないんだろ。そんなくだらない夢はつぶしてやる。
邪悪なB級精神科医(どちらも自称)の考えそうなことである。
ところが、いざ作らせてみてナースと試食してみたらなかなか美味い。
春日さんは「ささやかだけれども純粋な喜び」を感じたという。
むろん、病気のせいでレストラン経営なんて絶対に無理だという客観的状況は変わらない。
彼はこうしてこのまま作業所に通いながら生活保護を受け孤独に死んでいくだけだろう。
しかし、春日さんは自分とナース、患者のあいだに信頼関係ができたことを発見する。
以上、エピソードを紹介したが、いい人なのか意地悪なのかやはり判断がつかない。

さて、精神科医なら患者の自殺は避けられないだろう。
いったいいままで何人くらいに死なれたのだろうか興味はあるが詳細を読んだことがない。
よほどグロテスクな精神構造をしていないと質問できないデリカシーに欠けた問いだろう。
グロテスクな精神科医ならあんがい「覚えてないね」とさらりと交わすのか。
それにしても精神科医というのは因果な商売である。
ろくろく関係のない患者から「自殺したい」と言われても困るだけではないか。
春日さんの場合、「わたしはあなたに死なれるのは嫌だ、だから自殺はやめてくれ」
とストレートに繰り返すだけだという。死なれるかどうかは運だと考えているようだ。
医師としてなによりも大事なのは運の強さだというポリシーをお持ちのようだ。

「強運――これに勝るものはありません。
自分を守り相手をも守る強烈な運の強さ。必要なのはこれです。
これさえあれば、死にかけの患者へ下手な処置をしても助かります。
逆に運の悪い医者は、どれほど善人かつ技術に優れていても、
「治療は見事だったが、患者は死んだ」といった結果になります。ひどい話です」(P30)


身もふたもない現実になお誠実に向き合っているという印象を受ける。
みなさんは現実をそのまま直視しないのだろうか。
どうして多くの人が結局は運という結論に到達しないのか不思議である。
本書に患者から「わたしって、なんて運が悪いのかしら……(溜め息)」
と言われたときの模範解答が掲載されている。

「運が悪い、なんて言っているとかえって不運を呼び込みますよ。
ツキを変えるには、カラ元気でいいですから笑顔を見せてください」(P76)


こう応じたあとに患者の手をポンと叩き、笑顔の見本を見せるのがいいらしい。
あの春日さんが、本当にこんな上級技を使いこなせるのだろうか。
だとしたら、B級ではなく立派に一流の精神科医だろう。
春日先生のぎこちないスマイルで逆に患者の不安が増したりしないか心配してしまう。
臨床心理学者の河合隼雄が人の不安は伝染して事故が起こりやすくなると書いていたが、
おなじく臨床経験豊富な春日武彦先生も似たような思いを抱いているようだ。

「わたしの印象では、臨床において、
あまりにもトンチンカンな間違いをしでかして失敗に到るケースは滅多にない。
自身に対する懐疑心や心許なさがマイナス方向に作用して
自滅することのほうがずっと多い。
逆に、自信と確信に裏付けられていれば、実際以上の効果が上がる可能性が高い。
この事実をもっとくだけた言葉で言えばどうなるか。
おそらく「気合で治す」ということになるだろう」(P19)


わからないが、精神科医によって患者の自殺率は大きく異なるような気がする。
ひとりに自殺されたらそれだけ自信や確信がなくなるだろう。
このとき慰めになるのがおそらく運という考えなのだと思う。運が悪かった。
そして、運に立ち向かうには、いくらボヤキが好きな精神科医でも気合に頼るしかない。
運に立ち向かうには気合に頼るしかない。
二度繰り返したのは、自分に言い聞かせるためである。

COMMENT









 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/3527-90851dd3