人皆快楽犯

他人の評価をやたら気にしている人が多い(むろん吾輩もである……吾輩はパンダだが)。
それは人として(日本人として?)当たり前のことなのだから、
どうしたら他人の評価など気にならなくなるのだろうと悩むのがそもそもおかしい。
みんな全員だれもが(日本人ならばおそらく)他人の評価がたぶんもっとも気になる。
わが国流行の日本文化論はまさに他人の評価を過剰に気にしている証だろう。
そうだとしたら、他人の評価ばかり気になるのを苦悩するのがおかしいことになる。
あなただけではなく、みんな全員だれもが外見上はそうは思えなくても
本音のところでは他人の評価をうじうじ悩んでいることになるのだから。
生涯、他人の評価にぐでぐで拘泥(こうでい)するのが当たり前なのだと思う。
唯一、他人の評価から抜け出せる裏道があるとすればそれは快楽ではないか。
快楽というと、人はみな性欲や食欲、アルコール、ドラッグを想起するのかもしれない。
しかし、快楽は人それぞれではないかと申し上げたい。
ある人にとっては下らないものがべつの人にはまたとない至上のものとなるのが快楽である。
快楽といえば一般的に思い出されるセックスでたとえれば、
同性愛、被虐愛、加虐愛、幼児愛、少年愛、少女愛、熟年愛、死体愛、
寝取られ妄想、レイプ妄想、痴漢妄想――なんだっていいのだ。
わたしがいまのところもっとも快楽を感じているのは、
ものを書くことによる表現充足である。
書くことが快楽ならば、他人から評価されなくてもそれ自体で充足していることになる。
ただし読まれるという行為をもって書くことは完結されるから、
読まれなくてもいいというわけではない。
だから、こんなつまらぬ文章をお読みくださる貴方様への感謝が尽きないのだろう。
どうもありがとうございます。これは偽善ではなく本音でありまする。

COMMENT

yogako URL @
12/22 12:22
. comment
>>わたしがいまのところもっとも快楽を感じているのは、
ものを書くことによる表現充足である。

これを求めて掴めない、もしくはあることに気が付かないまま人生を終える人が大半だと思います。私もその一人なのでそう言いきれるヨンダさんを羨ましく感じます。
快楽に没頭すると自分がなくなり、自分が消えるとそれをしてるのはもはや自分でなく。余分なエネルギーが失われないのでどんどんいける。疲れ知らずという不思議な現象。私は手芸になるのだろうか…(くだらなすぎ^^)
昔ある芸術家が言うてました。
アートとは、「作って」「見せて」、そして「壊す」ことらしいです。深すぎて意味がわかりませんが、多分そうなんだろうなという気がします。

コメントが長すぎてすみません。スルーしてもらっても気にしません。

Yonda? URL @
12/23 00:23
yogakoさんへ. 

おっしゃるとおりで、
没頭、夢中、忘我、陶酔、ラリる、狂う、中毒、依存症――。
といったような述語が、
怪しげながら人知れぬ個別の快楽に通じる
人生の裏道や隠れ扉に関係するのでしょう。
どうか手芸に励んでくださいまし。
他人の評価など怖れることなかれであります。
そりゃあ、他人の評価はほしいですけれど、
あれは完全にままならぬものでありますから。








 

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