他人の評価

青臭い人生論をどこまでも青臭く、つまり青年気取りでアイロニカルにぶっぱなすと、
生きる目的はいかにどれだけ他人の評価を得るかにあるのではないか。
我われはほとんど他人の評価を得るためだけに生きているようなところがある。
あらゆる仕事が他人の評価を得ないことにはありつけない(就職面接、転職面接)。
もてるもてないは、異性からの評価が問題とされているわけだ。
結婚というのは、
どれだけの格を持つ(地位、容貌)相手から人生で評価されたかという証明になる。
よく知らないが、婚活でも就職面接のように自己PRをするのでしょう?
どれだけ自分が他人に評価されているか(年収、肩書)をうまく相手に伝達しなければならない。
他人から高い評価を得ているものほど婚活市場でも引手あまたになることだろう。
新人賞の選考でも一次、二次、三次と審査(他人の評価)を経て、
選考委員からもっとも高く評価されたものが受賞の栄誉を勝ち取るわけである。
ではなぜ選考委員が偉いかといったら彼(女)は過去に他人の評価を得ているからである。
選考委員の受賞歴や読者からの人気は、とどのつまり他人の評価にほかならない。

要するに、人生でいちばん重要なものは他人の評価になるのではないかと思うのである。
繰り返すが、人生でもっともたいせつなのは他人の評価ではないか。
わかりやすくいえば、自分の評価ではないということだ。
他人の評価は自分の評価とは異なる。
自分がいくら自分を評価しても(自己承認、自己愛)、
そんなものはだれも評価してくれないのである。
この世でいい思いをしたいのならば、他人の評価に徹底的にこだわらなくてはならない。
他人が評価しているものを腐すなんていうのは論外なのである。
多くの他人が評価しているいま人気のものは、いうなれば人生の正解のひとつなのである。
バカにするなんてとんでもない話で、謙虚にそこから学ぶのが本道になろう。
このとき自分の評価などいったいなんになるのか。
自分なんてものは可能なかぎり捨てて、他人の評価に忠実になったほうがよほどいい。
いま世間で上位におられる方々は、それだけ他人の評価を得ているのである。
彼(女)がなによりも気にしているのは他人からの評価(評判)だろう。

ビジネスでもっとも重んじられる信用とは、他人の評価の質のことである。
有名人のご子息やご令嬢ならば、それだけ信用は高くなるのである。
知り合いに有名人がいれば(有名人は他人の評価を集めているから)、それは信用になる。
何度でも繰り返し強調したいが、人生でもっとも重要なのは他人の評価だったのである。
どうしてこの年齢までだれもが知っているこんな常識に気づかなかったのだろうか。
ならば、合理的な努力とは他人の評価を得るための行為ということになろう。
考えるべきことは、いかにしたら他人の評価を少しずつでも得られるかだ。
そのためには多くの他人から評価されている人や仕事、作品から学習しなければならない。
いま売れているものや人はやはり参考にすべきものをたくさん持っているのである。
有名な人にお近づきになれれば、そのぶんだけ他人の評価を獲得することができる。
格上の人に評価されたかったら、どこまでも尽くす、奉公する覚悟が必要だ。
評価もギブ&テイクでまずこちらから差し出さなければならない。
こちらが評価していない人が自分を評価してくれるなどあるはずがなかろう。
そうだとしたら、だれを評価したらいいのか。
いま現在、他人からの多大な評価を集めている人物や作品こそ絶賛すべきである。
自分の評価よりも他人の評価を重んじるのが賢い生き方である。
ようやくにしてある種の真理に気づいたが、あまりにも遅すぎるので幼稚な自分がいやになる。
いまわたしがいちばん求めているものは他人の評価である。ここに第一歩を踏み出す。

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