他人を語る

他人を語ることなんてきっとできないんでしょうね。
一見すると、他人を語っているように見える話でもみんな自分を語っている。
文芸評論なんてどれも他人をだしにした自分語りでありましょう。
まあ、だれも文芸評論なんて自腹を切ってまで読みませんから、
どうでもいいことですけれど。
たとえば、山田太一さんが師匠筋の木下恵介監督のことを語っても、
それは結局のところ、どうしようもなく自分語りなんですね。
人間は他人を見ても、自分とおなじところしか見えないのではないでしょうか。
昨日の池袋の対談でも、ああ、そうだったのかと気づいたことがあります。
しかし、それはここには書けないんです。
なぜなら、それを書いてしまうと自分語りになってしまうからです。
自分のあまり公開したくない本音を山田太一さんの言葉として語ってしまうことになる。
○○さんは本当はこういう人ですよ、
という側近の暴露は自分の隠された面の告白に近くなるのではありませんか。
自称インテリは自己投影などというわけのわからぬ専門用語を使うのかもしれません。
他人は語れない。語れるのは自分だけである。
このことを少しでもあたまの隅に残しておくと、
あるときふっと自分についてわかることがないともかぎらないでしょう。
他人は未知ですが、そもそも自分からして未知な存在かもしれません。
むしろ自分よりも他人のことのほうがよほどよくわかる。これはどういうことか。

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