自分で調べない人

学生時代は自分もそうだったから、どうのこうの言うのはおかしいのかもしれない。
だが、自分で調べない人というのは大きな損をしているのではないか。
自分で調べない人とは、なんでも他人に答えを聞けばいいと思っている人たちだ。
自分で考えられない人たちのことである。
むろん、かつてのわたしはまさにそうだったし、
いまのわたしがそれほど自分で考える力があるのかどうかも疑問である。
自分で調べない人たちの好むのがセミナーなのだと思う。
「聞いたらわかる」と思っているその庶民的な安易さはどうなのだろう。

話者の著作を1冊も読んでいないのに講演会にいそいそと行く人たちが一定層いる。
彼らが強く信じているのは「聞いたらわかる」という幻想である。
実際にセミナー参加後に内容を聞いたら、なにひとつ答えられないくせに。
きっと、なーんか知恵がついたような思いがして気分がいいのだろう。
自分で調べるのは面倒くさいが、偉い先生のお話を聞くことは好む。
なにひとつわかっていないのに多少文化的になったような満足感を得られるからだ。
最近思うのは、教わったことはほとんど身につかないのではないかということ。
自分で関心を持って時間をかけ学んではじめてものの見方が変わる。
自分が他人を変えられないように、他人も自分になにかを教えることはできない。
自分で学ぶしかない。具体的には本を読むということだ。
読むだけではなく、わかったかどうか自分の言葉でまとめてみることだ。

☆ ☆ ☆

耳学問を否定しているわけではないが、あれはどこか借り物の知恵のような気がする。
いや、借り物の知恵を持っていたほうが世渡りには強そうだから、
それでもぜんぜん構わないとも思う。
耳学問とは世間知、一般常識、処世の知恵のようなものなのだろう。
たぶん机上の学問よりもよほど耳学問のほうが役に立つ。
ならば、耳学問でいいのだろう。
わたしは学者先生よりも、読書が嫌いでセミナーや講演会を好む庶民のほうが好きだ。
それに「自分で調べろよ」は言ってはいけない禁句なのである。
気の短い庶民にこれを言ったら「教えてくれてもいいだろう」と逆に怒られてしまう。
知的コンプレックスの強い人に言ったら長期間恨まれるかもしれない。
なぜなら、かつて学生時代のわたしがそうだったからである。
わざわざ質問に行ってあげたのに「自分で調べろ」と言われたときは憤慨したものである。
質問を相手のためにしてあげた、と思うのが我われ庶民の特質なのではあるまいか。

セミナー嫌いのわたしだが、今日来月開催の無料講演会の参加予約をした。
例によってあの作家だが、毎回違う話をしてくれるのですごいなと思う。
ドラマ・ファン掲示板に書き込んでもいいけれど、そのうちだれかが書くだろう。
いくら無料でも土地柄もあり600人収容のあのハコが予約で埋まるとは思えない。

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