コントロール・イリュージョン

苦しめられているものに新しい言葉を与えることで楽になることもなくはない。
結局、言葉に苦しめられたり言葉に救われているのが人間なのだろう。
さて、我われはコントロー・ルイリュージョンに苦しめられているのではないか。
いぜん認知心理学の本を読んだときにポジティブ・イリュージョンという言葉を知った。
我われはみなポジティブなイリュージョン(幻想)を持っているのではないかという仮説だ。
みな自分のことを実際以上に高く評価している。
自分の将来には確率の低い不幸は起きないだろうという幻想を持っている。
自分が選んだ商品はほかのものよりよいものであるという錯覚を持つ。
以上のような自分にまつわる錯誤が認知心理学でいうところのポジティブ・イリュージョンだ。
ポジティブ・イリュージョンのおかげで我われはうつ病にならずに済んでいる。

同様に我われはコントロール・イリュージョンを持っているのではないだろうか。
たとえば、自死遺族が苦しまなければならないのはコントロール・イリュージョンのせいだ、
ということもできなくはないのである。
人生はコントロール可能だという幻想を持っているがために自死遺族は苦しむ。
もしあのときああしていれば愛する家族は死んでいなかったという錯覚に苦しむのだ。
だれもが自分の人生を自分が築き上げてきたという錯誤を抱いている。
よほど先のない後期高齢者以外は、将来をある程度コントロールできると思っている。
そして、それは認知のゆがみではないかというのがコントロール・イリュージョンだ。
実のところは、人間は人生をまったくコントロールしていないかもしれないではないか。
我われが成功者の自信たっぷりな自慢話を好むのは、
コントロール・イリュージョンが満たされるからとは考えられないだろうか。

もしコントロール・イリュージョンがなかったら人生に対して完全なる無力ということになる。
この無力感は自堕落や捨て鉢な反社会的行為につながりかねない。
このため社会全体である種の戦略として、
コントロール・イリュージョンを保持しているのではないか。
そして、我われは自分たちが作ったコントロール・イリュージョンに苦しまされる。
人生の失敗者は確率的にかならず一定割合存在しなければならないが、
彼(女)ら落伍者たちは自分のせいでこうなったのだと過剰に苦しまなければならない。
自分の人生はコントロール可能なのだから、よくないのは自分のせいだという理屈だ。
自己嫌悪に耐えられず親や社会を執念深く恨むものもいるだろう。
この苦しみがコントロール・イリュージョンゆえだとわかれば苦しみは軽減される。
もしかしたらだれがあなたの境遇でもあなたのような人生になったのかもしれないのである。
もし成功者があなた(わたしもここに含まれる)の役を割り当てられていたら、
あなた(わたし)のような凡庸でつまらない人間になっていたとは考えられまいか。

我われは相当にコントロール・イリュージョンに毒されていると考えてみたらどうだろう。
建前として官僚や政治家がなにかをしなければならないのはわかるが、
少子化対策、雇用対策、安全対策、健康対策はコントロール・イリュージョンの産物である。
コントロールできると思うから対策を取るのである。
もしかしたら対策を取らなかったほうがよくなるのかもしれないが、
コントロール・イリュージョンに毒されているがために税金を使ってよけいなことをする。

婚活ブームもコントロール・イリュージョンゆえであろう。
もしかしたら婚活をしなかったら、
好きな趣味の世界でたまたまいい配偶者とめぐりあっていたかもしれないではないか。
しかし、まさしくコントロール・イリュージョンのせいで
努力しなければいい結婚はできないと思い込んでしまう。
だいたい婚活なんてする人は非常にコントロール願望が強いと思うが、
打算的な婚活をするから結婚できないことに苦しまなければならないという面もあろう。
もしかしたら将来はコントロールの範囲内にないのかもしれない。
いままでの過去はコントロールしてきた結果ではないのかもしれない。
だが、なにゆえか、なかなか我われはコントロール・イリュージョンから抜け出せない。
常になにかしていないと落ち着かないし、他人を出し抜こうという邪心を捨てきれない。
老後の不安を考えてコントロール・イリュージョンゆえに株の勉強などをして大損する。
対策を講じればかならずなにかがよくなると盲目的に信じている。
少なくとも対策を行わなかったときよりはよいだろうと錯覚している。
AとBのうちAを選択してしまったら、
もしBの場合どうなっていたかは絶対にわからないにもかかわらず、である。

合理的な選択はかならずしも正解ではない。
合理的な選択とは、統計上確率的にそうしたほうがいいとされる行為のことだ。
しかし、まさに合理的な選択をしたせいで不幸におちいることもありうる。
非合理的な割に合わない選択をしたほうがいい場合もある。
だが、コントロール・イリュージョンゆえに我われはなかなかそう思えない。
人はみなもしもっと人生でなにかをしていたら、
いまよりも人生がよくなっていただろうという錯覚を持つ。
怠惰や無為が嫌われるのはコントロール・イリュージョンのためであろう。
コントロール・イリュージョンのために負け組は苦しみを倍加されている。
コントロール・イリュージョンのせいで勝ち組は謙虚や謙遜を失う。
もしかしたらすべて神の采配ではないかと思えば、
忌まわしきコントロール・イリュージョンから抜け出すことができるのである。
いま不安でたまらないのはもしかしたらコントロール・イリュージョンのせいかもしれない。
常になにかしていないと落ち着かないのはコントロール・イリュージョンのためだろう。

ネットで検索すれば、目的地までの最短経路が出てくる。
これがコントロール可能ということだが、たしかにいまコントロールできるものは多い。
宅配サービスで時間指定がここまでできるのは少し恐ろしいような気もするけれど。
だがしかし、人生に最短経路はあるのだろうか。人生で時間指定はできるのか。
人生は日本の電車や宅配便ほどに正確に運行するものであろうか。
コントロール・イリュージョンは人を幸福にするのか、それとも不幸にするのか。
「すべては神の御心のままに」という古臭い呪文は、
あるいはもっともよく効く精神安定剤や抗うつ剤なのかもしれない。

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