人生相談の闇

いまカントファンの中島義道さんがネットで人生相談をなさっている。
まったくもうほんとうに人生相談には人間の闇がいろいろあぶりだされてくるのでおもしろい。
そもそも他人に安易に人生相談をもちかけるのはどうなのかという問題がある。
まず偉い人にしか人生相談をしないという権威主義はどうなのか。
だれも落ちぶれた叔父さんには人生相談に行かない。羽振りのいい人のところに行く。
もしかしたら人生で「負け」を多く経験しているほうが博識かもしれないにもかかわらず。
他人に決めてもらおうという甘い態度も問題ではないか。
人生相談は自分で徹底的に考え抜くことを拒否した指示待ち、
つまり受け身の姿勢が前提にある。
自分の人生なんだからもう少し自分で考えたらいいのではないか。
人生相談を受けるほうのおごりもなんだかいやだ。
自分は人生をわかっているという傲慢が透けて見えていやらしい。
人生相談者への断定的な回答は新興宗教の教祖的ないかがわしさを感じる。
だって、相談者のことをほとんどなにも知っていないでしょう。
対面ならまだしも書面での人生相談なんてするほうもされるほうもどうかしている。
親戚の子どもだってほんとうのところはなにも知らないのではないか。

どうして「こうしたらいい」なんてことが言えるのだろう。
他人のみならず将来のこともわかる人はいないと思う。
「こうしたらこうなる」はたぶんだれにもわからない。
それは神仏のみぞ知る世界だ。人間が手を出してはいけない。
とはいえ、人生相談は良好な人間関係維持のための必需品だ。
上司に人生相談するのがうまい人ほど出世が早いのではないか。
自分に人生相談をしてくれた部下はかわいいと思うのが人間というものなのだろう。
おれもなかなかのもんじゃないか、とほくそ笑む上司は人間味があってよろしい。
先輩後輩関係も人生相談で成り立っているような気がする。
たぶん人生相談がうまい(するのもされるのも)人がコミュニケーション能力の高い人だ。
上手に相手に人生相談をお願いしたら気に入ってもらえる。
偉くなればなるほど相談相手がいなくなるから、インチキ占い師が繁盛するのだろう。
周りが敵だらけの偉い政治家先生が占い師に依存しているという噂はリアルである。

人生相談でいちばん難しい回答は「わからない」だろう。
身もふたもないことを言えば、大学生でも人生相談に答えられるのである。
だれでも(自分ならぬ)他人のことはよく見えるから、人生相談はだれにしてもいいのだろう。
そして、だれでも責任がないならば他人の人生相談に「正しい」答えができよう。
人生相談はアリバイという意味合いもあるだろう。
「なんであのとき相談してこなかったんだ」と怒る人もいるからである。
おそらく人生相談の答えで比較的上質なのは「わからない」だと思う。
相手の言うことを親身になって聞いてあげて、なおかつ「わからない」と答えるのは難しい。
だが、もっとも誠実なのは「わからない」なのかもしれない。
「わからない」を維持できる人は偉いと思う。
どこまで「わからない」をわかっているかで、その人の深さや浅さがわかるような気がする。
人生を見る目の度合は「わからない」にかかっているのではないか。
とはいえ、「わからない」を保っているのは苦しい。
年を取れば取るほどわかったふりをしたくなる。またわかったような気がしてくる。
それでも「わからない」と言える人こそ信頼に足るのだと思う。
なにがいいのか、なにが悪いのか、どうしたらいいのか、いけないのか「わからない」――。

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