邪悪のよろしさ

自分が邪悪であることをわかっている人は好きである。
派手な喧嘩をおっぱじめて周囲を巻き込むのはたいがい正義の人(国)同士である。
邪悪を自覚しているような人には、なぜか正義の人も喧嘩を吹っかけてこない。
うっかり喧嘩をするとおのれの邪悪さに気づいてしまうからかもしれない。
正義ほど怖いものはないと思う。
なぜなら正義の名のもとに人はなんでもしてしまうからである。
正義のためなら人を傷つけてもいい。原爆を落としてもいい。相手国を滅ぼすのが正義だ。
正義を主張しない新興宗教団体があったら覗いてみたいが、
寡聞にしていまだ出会ったことがない。
正義を気取る人はみな自称善人である。
おかしいのかもしれないが、わたしは少なくとも自称善人よりも自称偽善者のほうが好きだ。
自称善人は邪悪なこちらになにを仕掛けてくるかわからないので恐ろしい。
悪をつぶすためならなにをしてもいいと思うのが自称善人である。
自称善人はおのれの心中にひそむ悪を他人(他国)に投影してよしとする。
人間なんてそんなものだろうとわかっていながらも、正義の人は好きになれない。
そういえば「善き人たちの連帯」を書きたい言っている偉い小説家の先生がおられる。
彼は自分(たち)のことを善人や正義と思っていそうなので、その幼児性にアワを食ってしまう。

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