「傍観者」

「傍観者」(井上靖/潮文庫)

→短編小説集でほとんどの作品は別の文庫で一度読んだことがあるような気がする。
このたびタイトルにもなっている短編小説「傍観者」の恐ろしさに気づく。
「傍観者」は昭和26年発表だから芥川賞受賞の翌年、つまり初期小説である。
40歳をすぎてデビューした遅咲きの作家である井上靖の源泉は、
もしかしたら芥川賞作品よりもむしろこちらの「傍観者」のほうにあるのかもしれない。
ある種の倫理的な問題をはらんだ作品といえよう。
愛する人が毒を飲んで自分の家に来たら、どうしたらいいのか?
いささか性急がすぎた。それまでの流れをかんたんに書いておこう。
「私」は青年時代に遠縁の「わがままで、病弱で、美貌な少女」梨花に恋をする。

「私の恋情の中には、その最初のときから、なにか運命的なものが、その場かぎりでない、
一生を支配するような何ものかが匿(かく)れひそんでいたように思われる」(P17)


「私」は人並みに恋をして女を知るが片時も梨花のことを忘れることがなかった。
ふたりが再会するのは「私」が東洋文化研究所に就職してからである。
二十歳の梨花は「病弱な面影はどこにもなく、わがままなところも見えず、
ただ美貌だけが、往時の蕾(つぼみ)の固さから、
ゆたかに花咲いた派手なものに変っていた」。
「私」は梨花のまぶしさを正視できず、同僚の岸本を呼んできてしまう。
「私」と岸本と梨花の関係が始まる。
あるとき「私」は梨花の家を訪問して辞するときにこの美少女から接吻のお土産をもらう。
時代は中国との戦争が始まったころである。「私」は軍隊に召集される。
中国の戦地で「私」は梨花が岸本と結婚したことを知りショックを受ける。
10年のときを経て日本へ戻ってきた「私」は梨花を憎む気持こそ捨てていたが、
愛着ばかりはどうにもならなかった。
戦後の混乱のさなか、「私」は闇商売で大儲けをした岸本と梨花に再会する。
「私」は独身のままであった。
相変わらず美貌ではあったが、梨花の生活はすさんでいくばかりで若い男に手を出したり、
ときには株で大損を出したりで、大学教授になっていた「私」はそのたびに面倒を見ていた。
「私」と梨花は決して身体のつきあいは持たなかった。
ある晩、暗い顔をした梨花がひとりで「私」のアパートにやってくる。
ベッドで休ませてほしいのだという。

「……やったなと私は思った。
梨花が毒を飲んでいることを、そのとき直観的に私は感じたのである。
私はついに来るべきものが来たという気持だった。
梨花がこのようにしていつか自分の部屋にやって来るのを、もうずっと前から、
私は無意識の中に予感していたようであった。
少しも意外なものがやって来た気持ではなかった」(P50)


このときどうするのが愛なのだろうか。毒を吐き出させるのが愛なのか。
医者(救急車がこの時代あったのか不明)を呼びにやるのがほんものの愛なのか。
「私」は「かまわない、お休みなさい」という。
自分の服毒を「私」が見抜いていることを梨花は知っていた。
最後にひと言「許してくださる?」というと梨花はひどくやさしく「私」を見入った。
そのまま女は深い眠りの中に落ちていった。
後日、このときのことを「私」はこう回想している。

「私は梨花を愛していたし、梨花は私を愛していたのである。
二人のばあいは、二人の愛情をそのような形でおく以外仕方がなかったのだ。
だから二人のあいだには何の醜関係もなかったのだ。
彼女は彼女でかってに他の男たちと身を持ちくずし、私はそれを傍観していたのである。
やがて当然のこととして彼女の生涯に破局がやってきて彼女は毒を飲んだのである。
私はそれさえも見ていた。
私がいかに彼女を愛していたかは、梨花がそうした私によって知ったはずである。
私たちは二人の愛情というものを、
そうした形においてしか終焉(しゅうえん)させることはできなかったのである」(P12)


愛する人が自分の選択で自殺したとき、果たして命を救おうとするのが愛なのか。
もしかしたら、そのまま死を見守ってあげるほうが強い愛を必要とするのではないか。
相手を助けたいと思うのはエゴイズムで、本当には相手のことを思っていないのではないか。
そして、若くして法的または肉体的に安直に結ばれているよりも、
このような屈折した関係のほうが男女ともにあるいは烈しい愛を感じられるのではないか。
ふたりだけにしかわからないこのような烈しい愛情は美しくはないか。
井上靖が「傍観者」で描いたのは男女の愛を超えた運命愛である。
傍観者たる「私」の梨花への愛は最後に運命愛にまで高められている。
女を愛するところから運命を愛するところまで上昇(下降?)しているのである。
女を愛したことからままならぬ人生(運命)をも愛す意志が生まれているではないか。
愛するのが運命なら結ばれぬのも運命で、
ならばその運命を愛する以外に人にどんな生き方があるというのか。
烈しい生き方は十中八九敗北に終わるだろうが、その敗北は夕陽のように美しい。
井上靖は上昇する朝日ではなく下降する落日の美しさを愛した作家であったのだと思う。

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