「精神科医は腹の底で何を考えているか」

「精神科医は腹の底で何を考えているか」(春日武彦/幻冬舎新書) *再読

→ある事情があってうちにある春日武彦氏の著作の顔写真をすべて見比べたことがある。
元来、他人の顔にさほど興味を持つ性質ではなくアイドルの顔さえ区別できないのだが。
本書における春日さんの顔がいちばん内面が出ているような気がした。
これを撮影したカメラマンは才能があるというのか、意地が悪いというのか、
まさしく精神科医・春日武彦の正体をとらえているようなところがあると思う。
精神科はかかったことはないけれど、はじめての医師の診察を受けるときは緊張する。
医者もそうだろうが、立場上、患者のほうがドアを開ける瞬間が怖いのではないか。
もし本書の顔写真のような医師がいてニヤニヤ笑っていたら引き返してしまうかもしれない。
実際、春日医師は何度か奇妙な薄笑いをやめろと患者から罵倒されたことがあるという。

このエピソードとも関係しているのだが、親も医者でお坊ちゃん育ちの春日武彦医師は
人生で一度たりともアルバイトをしたことがないらしい。
店員や警備員といった高校生や大学生でだれもが経験する通過儀礼のひとつだ。
このことを文芸誌の編集者に言ったら、それはよくないということを言われ、
内心で精神科医はそういう特異な人生経験の乏しさがむしろ世の中に対して
新鮮な視点をもたらすのではないか、と異論を抱いたそうである。
正確には反論ではなく、そのように励ましてほしかったと書いてあった。
ならば文芸誌の編集者に代わって、わたしが励まして差し上げたい。
春日さんのものの見方は非常に斬新であると思う。
きっとそれは異常なほど世間知らずなところによっているはずである。
世間知らずは春日医師も自分で認めていることゆえ、断じて悪口ではない。
世間を知らないからこそ、人のしない意外な発見を春日さんはするのではないか。

春日武彦医師は人並み外れて虚栄心が強いところがあるとお見受けした。
人からどう見られるかを異常なほど気にしている方のようだ。
俗に言うところの「ええかっこしい」というやつである。
このため上昇意欲も並々ならぬところがあり、
これだけ成功しているのにいまだに自分は不遇であると信じているのだから恐れ入る。
精神科医がここまで著書を出したがる自己顕示欲、自己愛の理由が本書で判明した。
なんでも将来、老人ホームに入ったときに周囲から一目置かれたいのだという。
この人は業績があると判明したら、老人ホームで尊敬されると思っているらしい。
それから50を過ぎたいま(本書執筆時)もなお両親から褒められたい、
それどころか嫉妬されたい、とあまりにも子どもっぽい正直な告白をしている。
親の期待通りにバイトもせず勉強して医者になり、
かつ作家としても成功した春日武彦氏の根っこにある幼児性はとても愛らしい。
まだ子どもから抜け切れていないから、
世慣れた大人にはできぬ新鮮な発想ができるのだろう。

本書でいちばん「そうだよな」と思ったのは、精神科医の愛情へのシニカルな視線だ。
忘れないために引用しておく。

「愛情には、相手を尊重し、
相手に不快感を与えたくないといった気持ちが含まれているだろう。
けれども、相手を束縛せずにはいられない側面をも持つ。
「あなたを愛しているからこそ、あなたにはこうしてほしい」
「大切なあなただからこそ、こんなことはしないでほしい」
といった気持ちが生じてくるのは当然であり、
そうでなかったら愛情とは呼べまい。
つまり相手に関心があり好意があればあるほど、
無意識のうちに相手をコントロールしたくなる。
人の心にはそういう宿命がある」(P116)


よく知りもしない他人のことを勝手に決めつけてはならないが、
ひとりっ子の春日武彦さんは両親あるいは母親から溺愛されて育ったのではないか。
このために50を過ぎてもいまだ親のコントロール下にあり、
その反発心から親を嫉妬させたいなどという幼稚な思いから抜け出すことができない。
愛されない子どももかわいそうだが、溺愛されるのも考えものである。
いや、おかげでこうして出世したのだからやはり親からは愛されたほうがいいのだろう。
春日医師は引用箇所に引き続き、
コントロール(支配)される喜びもあるのではないかと指摘している。
たとえば陶芸の師匠と弟子、コーチと選手、監督と俳優はそういう関係にあるのではないか。
なかには心地よい「支配―被支配」の関係もあるのではないかという卓見である。
その次に恐ろしいことを春日さんは言っている。
あるいは精神科医と患者にも「支配―被支配」は当てはまるのではないか、と。

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