「テレーズ・ラカン」

「テレーズ・ラカン」(エミール・ゾラ原作/ニコラス・ライト翻案/吉田美枝訳/劇書房)

→戯曲を読みながら変なことを考えてしまった。
夫の友人でもあった間男と共謀して亭主をぶっ殺すなかなか見どころのある女の話である。
殺すまでは燃え盛っていた愛も事件後は消えて、女は情けなくも罪悪感にかられ狂っていく。
最後は男女ともにたぶん罪悪感から自殺している。
いやね、思ったのは、これを書いていいのかわからんけれど、
いざ実際に人を殺したら果たして本当に罪悪感を持つものなのかってこと。
これはほとんどの人が殺人なんてレアな経験することがないからわからないことだよね。
しかし、殺人をしてまったく罪悪感を持たない人を舞台に出しちゃうと共感してもらえない。
我われはなぜか人を殺したら罪悪感を持つものだという通念(思い込み)がある。
本当のところはわからないわけだよね。
殺人者が逮捕されて警察署で反省アピールをするけれど、
あれは裁判対策かもしれないわけだから。
本音は「チクショー捕まったか、ヘマこいた」の可能性もある。

なにが言いたいのかって、殺人者が罪悪感を持つというストーリーは、
多数派たる観客の通念におもねっているだけで、
実はぜんぜんリアルじゃないかもしれないってこと。
夫を殺したけれどうまく事故でごまかすことができたリアル犯罪者の女性が
もしこの「テレーズ・ラカン」を観たら、
あんなのは大嘘だという感想を持つかもしれないわけだ。
あたしは罪悪感なんてぜんぜんないし、いま人生チョー楽しい状態かもしれない。
だが、それを書いてしまったら客が怒るわけだ。そんなはずはないと。
もしかしたら現実はそんなものかもしれない、にもかかわらず。
ならば、あれはリアルだと俗に賞賛されるような作品は、
もしかしたらぜんぜんリアルではなくて、
実際は多数派のリアルはこうであってほしいという願いを、
作者は書いているだけなのかもしれない。
リアルだと評される作品はもっともリアルから遠いものということもあるのではないか。
なんかあたかも殺人の前科でもあるようなことを書いてしまった。

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