「河合隼雄全対話8 創造の深層」

「河合隼雄全対話8 創造の深層」(河合隼雄/第三文明社)

→いったいどこから創造はもたらされるのかを河合隼雄と識者が語り合う。
創造の深層にはいかなるものがあるのか。
全対話を読んで境界というのが創造の深層にはあるような気がした。
たとえば、大人と子どもの境界。
創造をしようと思ったら大人でありながら子どもでいなければならない。
「常に子どものそういう目で自分を見ていなければ」ならない。
「要するにみんなが分かったと思うときに、おかしいぞと思」うこと。
「そういう途方もないことを考えつく」のが子どもの力だ。
「ところが、その子どもの心を残す教育よりも、
子どもをどうして早く大人にするかというのが教育だと思っている人」がいる。
難しいのは、「ずっと子どもにしといたらいいと思う人もいること」で、
それでは困ったことになってしまう。
大人でありながら子どもでもあることがいかに難しいか。

宮沢賢治は「おれはひとりの修羅なのだ」という。
修羅とは仏教の十界(六道)でいえば、畜生と人間の境界である。
賢治が自分を修羅と見ていたとは、自分の「たましい」をよく見ていたということだ。
なぜなら修羅は仏教でいうと人の下だが、下だということは深層心理学でいうと、
自我に対する無意識みたいなものである。
以下引用はすべて河合隼雄の言葉である。

「ただ、ひとつ言えることは、「修羅」を生きる人は、
普通の人間と次元が違うということです。
普通の人間は、お金を儲けないかんし、出世もせなあかん。家もつくらなあかん。
けど賢治は、そういう欲望と次元が違うところから発想し、行動している。
その姿を上のほうからみると、あのひとは天使みたいな人やということになる。
下からみると「修羅」になる。でも天使はおもろない。
おもろいのはやっぱり「修羅」のほうですわ」(P156)


結局は自分を出すしかないのだと思う。
しかし、どのレベルで自分を見ているかが重要なのではないか。
どこまで自分の深層にたどりつけるのか。
子どもの目や修羅の目、ときにはパンダ(畜生)の目が生きてくるのかもしれない。
どこまで大人の常識的な思考から離れて創造できるか。

「小学校や中学校の絵の点数というのは、実は絵の点数とは違うんですね。
あれは常識の点数なんです。そう考えたらよく判りますでしょう。
だから、小学校や中学校で絵の点数がよかったからといって
絵描きになるのは大間違いですね」(P80)


「たとえば私が絵の世界に入って、絵を描けといわれれば、
その時点で私は常識にとられるんです」(P92)


常識を捨てる、知識を捨てる、大人を捨てるとうまくいくことがある。
このため、心理療法でも――。

「ぼくはよくいうんですよ。難しい人がこられるでしょう。そのような時、
ぼくがやるより新しい大学院の学生がやった方がよいことがあるんです。
一回目の奇跡が起こるんですね。
だから、毎回毎回、本当に初心に帰らなければいけないわけですね」(P98)


背広のような知識を捨てたところで勝負するのがいちばんいい。
しかし、背広を着ていると見栄えがいいという発想からなかなか抜けきれない。
背広を脱ぐことができない。我われは背広のような知識に毒されている。

「絵で自分を出すという人はいると思いますか、ごく少数の方ではないかと思いますね。
自分で物を出すということは、ものすごいエネルギーが要るし、
自分の物だから自分の物を出して生きればいいのに、
ほとんどの人が自分の物を出さずに死んでいくんではないでしょうか。
だから来世があると思わなければ話が合わないと思うんですよ。勿体ない話ですが……
せっかく生まれて来たのに自分を出さずに背広を着たまま生きていく訳でしょう」(P91)


うまく自分を殺して一般受けするものを計算して「二流の天才」になる人もいる。
たとえば絵描きが毎回毎回、初心に帰り何百点という絵を描くことはできない。
そんなことをしたら身体が持たないし、下手をしたら死んでしまいかねない。
「みんなが喜ぶ」作品は、AとBとCを足してできたと分析可能である。
本当の作品というのは、分析不能な部分が絶対に入っている。
ということは、分析不能な深層まで自分を自分で見なければ、
そうして作品に自分を出さなければ本当の創造ではないのだろう。

西洋哲学の知識を詰め込んだような人を背広着用にたとえているのがおもしろかった。
河合隼雄はユングという背広をときには着つつも、
しかし一対一のクライエントとの勝負では常に背広の無価値を思い知らされ、
素っ裸の自分と向き合わざるをえなかったのだろう。
子どものように裸で遊ぶのもまた悪くないものであることを心理療法家はよく知っていた。
ユングなんか難解すぎてだれも読めないから、
河合隼雄は日本でかなり好き勝手に自分を出すことができたのだろう。

COMMENT









 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/3420-4650f157