「池田大作「権力者」の構造」

「池田大作「権力者」の構造」(溝口敦/講談社+α文庫)

→よく調べられているし、悪意みなぎる文章も生き生きと冴えわたっている。
たいへんな名著だと思う。たまさかこういう本にめぐり合えるから読書はやめられないのだ。
本書の元版は昭和47年刊。
古臭いから読む価値はないというのは誤りで記録的価値と娯楽性はまったく古びていない。
身もふたもないことを言うと、
創価学会は敗戦直後から昭和50年前後までがおもしろいのだ。
いまの創価学会など地球市民だか世界市民だが知らんがクリーンすぎて興ざめする。
「安定は希望です」(公明党)なんて創価学会じゃないでしょうと怒りたくなる(え?)。
創価学会はダークなところがおもしろかったのである。
勝利のためなら盗聴や言論統制どころか暴力さえも辞さないところが創価の魅力なのである。
勝つためならなんでもする。
学会員なら独善排他を高らかく三色旗とともに掲げ、
オラたちは偉いぞと鼻息荒く獅子吼(ししく)してほしい。

本書は日本の最高権力者・池田大作と最高権力団体・創価学会のルポである。
この本を読むと著者の意に反し、池田大作というのがどえらい傑物であることがわかる。
というのも、若き池田青年はなにも持っていなかったのである。
貧しく病気がちで、なによりも学というものをからきし持ち合わせぬ最下層の洟垂れ小僧。
この学識も家柄も財産もないペエペエの劣等青年が創価学会と出逢ったことで、
世界から勲章を毎月のようにもらえる偉人に成り上がることができたのである。
こんな奇跡的上昇は秀吉くらいしか比すべき男が思い浮かばない。
だが、本書によると池田大作はどうやら家康タイプだったようだ。
受けた恨みはその場で晴らすと損になるのでぐっと堪え、
時間経過とともに増幅した怨恨を何倍にもして相手にぶつけるのを好んだようだ。
池田は恨みがエネルギーになることを知っていた。
人を動かすのはエネルギーである。勝負を分けるのはエネルギーだ。
ならば、勝利するためには怨恨をより多く内部にため込むに限るではないか。
池田大作の天才的な策謀術、人心掌握術は、
おのれの恨みをよく知っていたことに起因するように思う。

人間というのはいかに見栄っぱりで、ささいなことで傷つくか。
ならば反対にうまく相手の見栄をくすぐってやれば、
向こうは永続的に忠義を誓ってくれるのである。
池田は俗物だったから、きれいごとではなくカネやモノで相手を動かした。
のみならず、カネで動いたと思われたくない相手の心のくすぐり方も熟知していた。
人間がいかに自分を善人と思いたいか、しかし同時に地位(ポスト)を求めているか。
人一倍俗物で邪悪、かつ鈍才だったから池田は庶民の王者に君臨することができた。
池田の俗っぽさがわかるのはこちらもおなじだからである。
池田の邪悪ぶりに「やるなぁ」と拍手したくなるのは自分も同タイプの人間だからだろう。
秀才ではなくむしろ鈍才のほうが天下に近いというのは、
鈍才のわたしのそうであってほしいという願いかもしれない。

たぶん多くの学会員さんは池田大作が自分たちと極めて似た人間であることを
無意識的に察知しているはずだ。俗っぽくて意地が悪く、頭の回転が鈍い。
しかし、自分を俗悪だと認めたがるものはいない。
このとき学会員は池田大作に庶民だれもが持つ聖者意識を拡大投影するのだと思う。
池田先生は自分たちのことをわかってくれていると思える根拠は、
庶民の意地汚さ、愚鈍さ、こずるさを池田がだれよりも持っているという確信によるのだろう。
だが、池田大作名誉会長は高潔でユーモアのある正義の人である。
ならば池田を師と仰ぐ我われ学会員もそうなのだという自己満足を得ることができる。
池田大作のようになりたいと願うことでおのれの小さな邪悪と折り合いがつく。

池田大作を描いた本書で思いのほか強い印象を残したのは、
創価学会第二代会長の戸田城聖だ。戸田城聖を描いた部分がとてもおもしろいのである。
それもそのはずで池田大作を文字通り作ったのが戸田城聖なのだから。
ろくにものを知らない池田青年の白紙の心に
壮大とも言うべき欲望、野心、自己愛を植え付けたのが戸田城聖だ。
偉くなると楽しいで~。権力の蜜ほど甘いものはないで~。
おまえ、おい小僧、人から尊敬される気持のよさを知っちょるか?
戸田城聖というのは浮き沈みの激しい人生を送ってきた男のようだ。
妻と長女を続けて亡くし自身も結核に侵された絶望のときもあった。
行き着いたありさまが「この世に遊びにきた」というほどの快楽主義である。
酒と女をこよなく愛し、それを隠すどころか誇るような男が創価学会第二代会長だった。
悟り澄ましたような坊さんとは正反対のタイプだったようだ。
この戸田城聖から無学な池田大作はあらゆるものを吸収したのである。

「戸田の人相、風体、言動、著作物などいずれも聖性とは縁遠く、
そのすべてに俗臭が立ちこめていた。
池田はそのようなものの弟子であり、戸田から池田への進化はただ一つ、
後者がスノビズムを身につけたことであった。
総じて生前の戸田を知る人々の戸田像は、
もうけを片時も忘れることがない小事業家、
「勝負」に生きがいを見出す投機的商人、
はったりと大言壮語で人をけむにまく山師的性格、
さばけた苦労人といったものであった(日隈、前掲書)」(P106)


この描写を読むと、たぶん戸田城聖は池田大作よりもおもしろい人だったはずである。
YouTubeで声を聞くと、酔っぱらっているのかなにやら叫んでいるのだが実に味がある。
とはいえ、あれでは少数から支持されても大衆の支持は得難いのではないか。
池田大作は戸田城聖のおもしろさを引き継ぎ、
いくぶんマイルドにした結果として多くの庶民の人気者となったのだろう。

さて、池田が戸田から教わった多くのもののなかから、ひとつを選べと言われたらなにか。
「なにをやってもいい」という暴力団めいた攻撃性だと思う。
俗に「狸祭り」と呼ばれる暴力事件がまこと傑作である。
この「狸祭り」で池田はアル中の快楽主義者・戸田の邪悪性にしびれたのではないかと思う。
創価学会は長いこと日蓮正宗の在家組織であった。
戸田城聖は小笠原慈聞なる老僧を「狸」と呼び報復をするのである。
ときは昭和27年、大石寺ではイベントが行われていた。
「狸」制裁の理由は、戦前の自分と初代会長の投獄を
この老僧のためと逆恨みしていたからである。
戸田城聖の恨み深さはどうだろう。もう10年近いむかしの恨みをまだ忘れていない。
当日、池田が中心となった青年部は小笠原慈聞を探し出し拉致する。
戸田の命令で「狸」を初代会長牧口の墓まで強制連行する。
墓のまえで戸田城聖は「狸」こと小笠原慈聞を子分と一緒に殴りつけ謝罪文を書かせた。
こういう暴力団めいたところが創価学会の魅力である。
法華経も日蓮も絶対的に正しいのだから必然として自分たちも絶対正義で、
ならば正義の名のもとに「なにをやってもいい」ことになる。
後日「狸」はいろいろ騒いだが、戸田はカネのちからですべてを揉み消したという。
日蓮正宗の僧侶たちを芸者つきの温泉旅行で接待し、自分はいっさい謝らなかった。
このとき池田大作は師匠・戸田城聖の心を学んだ。

昭和33年、戸田城聖が死ぬ直前のことである。
戸田の悪口を言っている的場正順という日蓮正宗の僧侶がいると池田は聞きつける。
池田は青年部メンバーたちとともに的場を呼びつけ制裁を加える。
真っ裸にして川に放りこみ、何度もそのうえにかわるがわる青年部員が乗る。
いいか、戸田先生の悪口を言ったらこうなるのだぞ。
池田の指示で青年部員たちは的場正順なる不良僧侶を窒息寸前まで追い込んだという。
終始、池田大作はポケットに手を突っ込みながら的場を見下ろしていた。
ここに師弟の魂の伝授が完成したのだと思う。
この報告を池田から聞いた戸田城聖はどれほど嬉しかったか。
2週間後、「この世に遊びにきた」戸田城聖は死亡する。

2年後、第3代会長に池田大作はわずか32歳で就任する。
本書によると、次期会長候補には石田次男という同志がいたという。
家柄もよく頭脳も明晰で戸田城聖からひいきにされていた。
本来ならば学のない池田大作ごときが太刀打ちできる相手ではなかったという。
しかし、石田次男は戸田城聖の精神、つまり邪悪ぶりを理解していなかった。
一方の池田大作は戸田城聖の正しい心を完全に我が物としている。
池田大作は自分よりも年上で頭脳も優秀なエリートの石田次男を全力で叩き潰すのだが、
ここは読んでいて最高に痛快だった。そうでなければ創価学会ではない。
勝つためなら「なにをやってもいい」のが創価学会である。
なぜなら法華経を受持する自分は絶対的に正しく、ならば相手は悪ということになろう。
悪を調伏することが正義の証明だ。
池田大作はエリートの兄弟子・石田次男を完膚なきまでに追い落とす。
創価学会の勝利というのは、勝ち誇るということだ。
後年、池田大作は女子部の委員会で石田次男に言及する(昭和51年)。
引用するのは池田大作の人間性がよく現われていて魅力的だからである。

「石田さんていうのはね、非常に見栄っぱりなんです。気どりやなんです。
人をバカにするんです。そうじゃない。(ハイ)
結局だめなんだ、だから。もう戸田先生がいなくなったら、
だんだんだんだんおかしくなってしまって、誰も相手にするものがいない。
結局、ちょっとおかしいじゃないか、というように。
二十年、十八年たった今では、もう、(池田との間には)天地雲泥の差があるんです。
利己心、冷たい、人をせせら笑う。いまはダメになってしまっている。
自分は頭がいいと思っているから。(略)
どうしようもない。誰からも相手にされなくなった。
もう貧乏のどん底で、子供までが……
私は一生けんめい応援しておりますけどね、分かる(ハイ)」(P237)


池田の獅子吼は恐ろしい。「獅子は兎を狩るにも全力を尽くす」のである。
いや、相手の石田次男は兎ではない。
戸田城聖からひいきにされ次期会長候補とも噂された優秀な学会エリートである。
仏法は勝負である。勝つか負けるかだ。負けたらば負けたほうが悪い。
著者の確認では昭和56年段階で、敗者の石田次男は胃の三分の一を切除。
みすぼらしい家の万年床で昼から焼酎を飲むような生活を送っているという。
かつては戸田城聖の一番弟子と言われたものの哀れというにはあまりにも哀れな末路である。
池田大作の勝ち誇る雄雄しいさまには著者もさすがに一言を加えたくなったものらしい。

「池田の石田に対する敵意の深さには慄然(りつぜん)とさせられる。
別の内部文書には、
「石田次男は二十年間苦しんで、地獄に落ちていくんだ」との発言もあり、
創価学会員にとっての「地獄」の持つ意味の重大さを思い合わさずとも、
その長期間、なぶり殺しにして断末魔をみるようなまなざしの冷たさには、
異常な競争心と報復心の烈しさ、底深さをみる思いがする」(P237)


わたしから見たら学会エリートの石田次男など池田大作の敵ではない。
貧しさと学のなさから生じた怨念は異常な攻撃性に変じて必然的に勝者を生み出す。
もう少し石田次男が人間を知っていたら早めに池田に完全降伏していたのではないか。
そうしていたらまさかそこまで落ちぶれることもなかっただろう。
自分よりも怨念や怨恨、憎悪が強いやつにはどうしたって勝てないのである。
ひとたび因縁でも吹っかけられたら、なにをされるかわからないではないか。
池田には多くの兄弟子がいたが、ほとんどが池田のまえに早々と屈服している。
いさぎよく負けを認めて少しでもおこぼれをあずかれるポストを乞うている。
戸田城聖直伝の池田の邪悪ぶりに気がつかないほうがバカなのかもしれない。
長年、戸田の指導下で金貸し業に専念した池田は、病人の蒲団をはぐくらい朝飯まえなのだ。
戸田先生のためなら「なにをやってもいい」のである。
戸田城聖も牧口先生のために「なにをやってもいい」と思い「狸祭り」を敢行した。
指導者のために自分はなにをどこまでやれるのかを考えるのが創価学会員の務めである。
法華経を受持し日蓮を大聖人とあがめる学会員は絶対正義だから「なにをやってもいい」――。
もし池田大作や創価学会に魅力があるとすれば、こういう非常識、破天荒なところがそうだ。
ふつうの人がやれないことを善悪問わずにやれるのが池田大作や学会員のすごさである。
いまはクリーンになってしまったが、むかしの創価学会はヤクザのようでとても格好いい。
親分のためなら命も捨てるというのがヤクザなら、かつての学会には美しき任侠があった。

いまの創価学会はどうなっているのだろう。
本来ならこんな記事を見つけ次第、
徒党を組んでうちに怒鳴り込んでくるようでないと創価学会はダメなのである。
創価の情報網を使えば、うちの住所なんて調べたらすぐにわかるはずなのだから。
若き日の池田大作ならかならずや恩師のために合法や非合法など考えずに、
まず矢も楯もたまらず身体が動いたことだろう。
それが美しき創価学会精神というものだ。
さて、池田大作の死去は早晩避けられまい。
30そこそこの野心あふれる青年が登場して池田の子息を追放してくれると楽しいのだが。
もし池田大作がいま青年だったら絶対に世襲など許さず、
異常な攻撃性をもって学会エリートの名誉会長ご子息を痛めつけ地獄に落としたはずである。
若き池田青年はそういうヤクザ映画に出てくるような益荒男(ますらお)であった。
著者は本書に池田青年の「若き日の日記から」の一部を抜粋している。
おそらく衝撃を受けたのだろう。
わたしもそうなので著者の感想ともども引用させていただく。
こういう男こそ巨大権力団体の最高指導者として長年君臨するに足る器なのだろう。
恨み深いだけではいけないのである。恨みを忘れない男でなければならない。

「[昭和]二十六年二月十三日(池田二十三歳)、
「吉沢君なぞに於ては言をまたず。
――先輩にへつらい、盲目にして生意気な女性よ。――」
同年四月七日、
「夜、青年部月例部会。出席者約数十名。男女共に。
愚かな、気ざな、幹部が気に入らぬ。町の、青年会の幹部のつもりでいる」
二十八年一月八日(二十五歳)、
「二時、R(竜年光と思われる)宅にゆく。
交通事故の、弁償金、八万円也を、整理してあげる。
心からの礼もいわず、いやな同志と思う。
利己主義と権威主義の同志ほど、情けなきものはなし」
同年十月二十二日、
「Y君、少々慢となってくる。そろそろ厳重に、指導の要ある。
自分が謙虚になっていると、図に乗ってくる」
二十九年六月二十三日(二十六歳)、
「S宅を訪う。実に生意気である。じっと耐えよう。
そして三年後に勝負せんと、帰り、一人思索する」
同年七月三十日、
「大宮方面に出張。K氏の生意気を憤る。五年後、十年後の勝負を――と我慢する」
同年十二月二十九日、
「八時、R(たぶん竜年光)宅へ。参謀室の友と共に。
生意気な一家、特に女房に怒りをおぼえる」(P345)


以上が池田青年の日記からの抜粋で、これを読んだ著者は以下のように思う。

「陰にこもった立腹の甚しきものは古来小人と決まっているが、
まして宗教人にとっては、「生意気」「図に乗る」などの語や、
他人の「女房」を悪しざまにいうなぞは、理由がどうあれ聞き苦しく、
池田の野卑な人格、逆投影した傲慢を察知させてあまりあろう
(なお文中の「勝負」とは果たし合いではなく、創価学会員用語で、
何年か後をゴールと決め、その時までどちらが幸福になっているか、
出世しているかを較べる意)」(P346)


わたしは精神病の人の日記を読んだことがあるが、まさにおなじような文体だった。
「生意気」だの「図が乗る」だの、そういうことばかり書いてあるのである。
著者は池田大作の人格に否定的だが、
こういう人間臭いものほど庶民の王者になりうる資質を持っているのかもしれない。
池田のように(無知ゆえ)若いころから自分は世界でいちばん偉いと思っているものが、
いざ最初の権力を手に入れたらあとはトントン拍子で進んでいけるのではないか。
いくら法華経を唱えていても、
みながみな池田のように自分は世界でもっとも偉いと思えるものではない。
やはり池田大作はある種の天才だったのである。
無知が人を美しいまで邪悪な天才にすることもあろう。
悪は美しい。邪(よこしま)な人は究極まで達すれば聖者のように見えるのだろう。
人を恨むのもまた才能である。
これはわたしがこの名著とモデルの池田大作から学んだことである。
みんな、よかった。池田大作も戸田城聖も、敗れた石田次男の負けっぷりもよかった。
著者のほかの本を読んでみたくなった。

COMMENT









 

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