「四季の雁書」

「四季の雁書」(井上靖・池田大作/「池田大作全集17」/聖教新聞社)

→ノーベル文学賞候補作家の井上靖と創価学会会長(当時)池田大作の往復書簡である。
昭和52年発刊で当時井上靖は70歳、池田大作は49歳(どちらも、おおよそ)。
格上の有名作家である井上靖に往復書簡刊行を許諾されて、
当時はいまよりはるかに評判の悪かった創価学会の会長はどれほど嬉しかったことか。
本書はむかしから読みたかったものだが、
機が熟したときに読むことになるだろうとのんきに(いや悠然と)構えていた。

いざ読んでみたら拍子抜けするものであった。
池田大作さんはあくまでも役者で文筆家ではないのだろう。
正直に書くと、池田大作の文章は弟子の宮本輝氏の足もとにも及ばない代物であった。
読者を揺り動かすようなものがなにもない文章である。
学会員さんは作家の池田大作ではなく、役者の池田大作に夢中になったのではないか。

池田大作さんはせっかく愛読かつ尊敬もしている井上靖との往復書簡なのだから、
ゴーストでもなんでも使ってもっとましなものを提出できなかったのだろうか。
井上靖も大人だから池田大作に穏当に合わせている。
表面上だけお互いを理解したような、
相互に相応する称賛を交換したようなだれの毒にも薬にもならぬ手紙の交換だ。
いや、池田大作は井上靖のお墨付きを得られたのだから得意満面であっただろう。
文壇や出版業界のわずらわしい人間関係のほぼ中心にいた井上靖は、
この依頼を断れぬ義理があったのではないかと思われる。

とはいえ、井上靖は芸術家であり打算だけで文章を書ける人ではない。
やはり池田大作となにかしら通じ合うものを感じたのだろう。
それは「烈(はげ)しく生きたい」と思う気持ではないかと思った。
文豪の井上靖と宗教家の池田大作に共通するのは、たぶん烈しさだ。
実際に烈しく生きられたかはわからないが、
ご両人ともにかつて「烈しく生きたい」と思ったことがあった。
この一点でふたりは通じ合うものがあったのではないかと思う。
きっと井上靖は池田大作の烈しさに近しいものを感じた。
70歳の井上靖が20以上年下の池田大作宛てに送った書簡から一部を抜粋する。

「それにしても、烈しく何事かを為そうとした気持だけが、
生きたということの証(あか)しのようなものとして、過去に刻まれてあり、
私の年齢になると、その部分だけが生き生きとしたものとして思い出されて参ります。
失意の日も、得意の日も、それから長い年月が経つと、すっかり消えてしまい、
真剣に烈しく生きた時の思いだけが、
いかに小さくても、消えないで残っているようであります」(P69)


結果ではないと井上靖が言っているようにも思える。
勝利したか敗北したかではなく、いかに烈しく生きようとしたかがたいせつではないか。
自分が池田さんとこうして書簡を交わしているのは、
あなたが人生の勝利者だからではなく(そんなものはどうでもよく)、
かなうにしろかなわないにしろ、
ほかならぬあなたが自分とおなじように烈しく生きることを望んでいるからだ。
一回きりの人生で何事かを為そうと思っているからだ。
深読みのしすぎかもしれないが、それほど間違っていないという自負もある。

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