「私の釈尊観」

「私の釈尊観」(池田大作・野崎勲/「池田大作全集12」/聖教新聞社)

→原本は昭和48年刊だから、いまの創価学会の教学とは異なっているのかもしれない。
学会員は学会員で活動に忙しいから他宗の本は読まないだろうし、
世間も世間でイメージだけで創価学会をバッシングしている。
日本にこれだけの一大勢力を築き上げた池田大作という男が凡人のわけがないのである。
池田大作という権力者に興味を持ち、分厚い全集を1冊丸ごと読んでみた。
むろん、池田の発言が本当にその口から出たのかはわからない。
年譜を見ると池田に専門的な仏教を勉強する期間があったとは思えない。
もしかしたら創価学会教学部のエリートが補足したところもあるのかもしれない。
とはいえ、いちおう池田の発言は本物として判断しておく。

仏教の開祖とされる釈尊(釈迦)のことを少しでも学んだら、
池田創価学会は少なくとも釈尊の教えとは無関係なことに気がつくはずである。
しかし、池田はなんら躊躇(ちゅうちょ)することなく釈尊を語る。
この不遜な態度、カラスは白いと言い切ってしまう大胆さが池田の才能なのだろう。
池田大作が説く仏法とは勝負である。勝つか負けるか。要は上か下か、である。
創価学会の教えである十界互具は勝負関係、すなわち上下関係の象徴である。
十界とは六道の発展版で、生命状態(あるいは心理)を十に分けた考え方である。
十界は下から順番に、
地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界。
創価学会が旧日本軍のようにピラミッド型に組織されているのも、
おそらく十界という世界観が強く影響しているのではないか。上か下か、だ。
人間は畜生よりも偉いから畜生にはなにをしてもいいというのが創価学会の根本思想だ。
しかし、菩薩は人間よりも偉いから今度は人間が菩薩には土下座しなければならない。
餓鬼のなかにも強弱があるがゆえに弱いものは強いものに食べられても文句は言えない。
食べられたくなかったら強くなれ、というのが創価学会の指導だろう。
常に上下関係を意識し(礼儀正しく)、勝負(競争)を好むのが大半の学会員だ。
上昇志向の極めて強い、周囲からは好き嫌いの分かれる人たちだろう。
がんばり屋さんと言えば聞こえはいいが、勝つためならなんでもすると思うと空恐ろしい。

さて、本書で池田大作が珍説を述べている。あんがい傑作な考え方かもしれない。
池田によれば、釈尊の菩提樹下の悟りは、
大宇宙の仏界に自身の生命に存する仏界が呼応したものだという。
釈尊の偉さを示すために池田はイエス・キリストをおとしめる。
イエスの悟りは釈尊よりも低く、
大宇宙の菩薩界と己心の菩薩界が呼応したものになるらしい。
仏界のほうが菩薩界よりも上だから釈尊はイエスよりも上であると主張する。
これは創価学会のほうがキリスト教よりも偉いと言っているに近い。
さらに池田はデカルト、キルケゴールの悟りを縁覚界の境知冥合と説明する。
縁覚界は仏界のふたつ下だから釈尊はデカルト、キルケゴールよりも偉い。
まるでこれを語っているものは、イエス、デカルト、キルケゴールよりも偉いかのようだ。
人間は平等ではない。上か下か、である。下のものは上を目指せ。
仏法は勝負だから下のものは勝負して敵を打ち破り一段でも上にのぼれ。

本書で池田大作がいちばん雄弁だったのは、
釈尊に逆らったデーヴァダッタ(提婆達多)について語ったときである。
創価学会とはデーヴァダッタの思想を血脈している団体ではないか。
だからいけないと言っているわけではない。
デーヴァダッタは偉人で、彼がいなければ釈尊の偉さは証明できなかった。
デーヴァダッタがいたから観無量寿経が説かれたのである。
現代日本のデーヴァダッタ池田大作は人間味があってよろしい。
池田の邪悪な聖者ぶりがたまらないぜ。
釈尊の仮面をかぶったデーヴァダッタの池田大作は口を開く。

「釈尊は、デーヴァダッタの心の動きを、十分、見破っていたことがわかる。
デーヴァダッタの目的は、明確であった。
それは、自分が教団の統率者になり、仏陀として、尊敬されることにあった。
これは釈尊が各地で、圧倒的な民衆の信頼を得、
厚く尊敬されている姿を、羨んだのでしょう。
その羨望は、やがて嫉妬につながり、
ついに自分の野心を抑えることができなくなってしまったのではないだろうか」(P184)


創価学会2代目会長の戸田城聖に仕えていた池田大作はデーヴァダッタだった。
しかし、若き日本のデーヴァダッタは勝利して釈尊になることができたのである。
池田大作ほどデーヴァダッタの気持がわかるものはいないだろう。
このため、池田がトップになってから無数の粛清が繰り返されることになる。
創価学会を脱会した幹部のなんと多いことか。
そのだれもが池田大作を口汚くののしることか。
創価学会は人間の本音を隠し持っているからこれほど支持されたのだろう。
人間は平等なんて嘘だからな。偉いものと人間以下のものに分かれる。
いいか、下のもんは勝つんだ。こん畜生と歯を食いしばって勝つんや。
わたしは釈尊の清浄な教えよりも池田大作のどす黒い怨念を高く評価したい。
池田大作は言う。

「「何物にも執着しない」といったところで、
現実の人間の苦悩は解決できない」(P68)


このため修行時代の釈尊はある師を見切ったと池田は言うが、
実のところ「何物にも執着しない」というのはまさしく釈尊の教えである。
そして、池田の言うようにそれでは「現実の人間の苦悩は解決できない」。
社会の下層という地獄で畜生のように生きる現実の人間の苦悩に
真正面から向き合ったのが池田全盛期の創価学会であった。

*池田大作はもう日本史上の人物とみなし敬称を略しました。

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