「デタラメ・あきらめ・いい加減」

「デタラメ・あきらめ・いい加減」(ひろさちや/ソニー・マガジンズ)

→まえにも書いたが、ひろさちやは精神安定剤のデパスのようなものである。
軽いうつ病や神経症レベルなら、ひろさちやでかなりの安心を得られるはずだ。
パーソナリティ(人格)障害は逆に悪化するかもしれないので少々の危険はある。
精神病(分裂、躁鬱)レベルになったら、
お安いひろさちやではなく函入りの宮沢賢治全集でも大枚はたいて買ってください。
正直白状すると、家にひろさちやが常備されていないと落ち着かない。
ひろ氏が切れたと思ったときには、あわてて精神安定剤をのむようにひろ氏を読む。
売れっ子の仏教ライターひろさちや先生をバカにしているわけでは断じてない。
ひろ氏こそ現代まれに見る仏教伝道師であられると仰ぎ見ている。
結局、仏教によってなにがもたらされるかと言ったら安心なのである。心の安定である。
どんなに成功していても(いや成功すればするほど)不安が強まるために、
多くの大物タレントが占い師やスピリチュアル・カウンセラーに依存しているわけだ。
これは不安ほど恐ろしいものはものはなかなかないということだろう。

さて、在世時の釈迦がそうであったように現代の呪術医たるひろ氏の処方薬はなにか。
本書のタイトルである「デタラメ・あきらめ・いい加減」である。
この3つの言葉はすごい発明だと思う。
結局のところ、人間の悩みの答えはこの3つに結晶するのではないか。
1.どうして私だけがこの不幸を?→「世の中はデタラメだからです」
2.いったいこの苦悩をどうしたらいいんですか?→「あきらめましょう」
3.これからどう生きていけばいいの?→「いい加減に生きましょう」

たとえば人生相談における苦悩は、
ほとんどこの「デタラメ・あきらめ・いい加減」で対処できると言ってよい。
話は変わるが、むかしは宗教家に悩みを相談したが、いまは精神科医が繁盛している。
著書多数の精神科医である春日武彦氏はこれまた天才レベルの言語感覚で、
人間が不幸を不幸として認識するさまを3つの言葉にまとめている。
いわく、人間の精神のアキレス腱は「こだわり・プライド・被害妄想」である。
「こだわり・プライド・被害妄想」が人間の不幸を形作る。
すぐれた精神科医と宗教評論家が共鳴するのは、ある意味で必然なのだろう。
精神科医の提出した問い「こだわり・プライド・被害妄想」への答えが、
老いた仏教ライターの主張する「デタラメ・あきらめ・いい加減」なのだから――。
具体的にはこう対応している。

・こだわり(あれだけは許せねえ)→あきらめ
・プライド(おれを舐めるなよ)→いい加減
・被害妄想(どうして自分ばかり)→デタラメ


人間の哀しいところはいくら正しい答えを教わってもどうしようもないところである。
いまの不幸が「こだわり・プライド・被害妄想」のせいだと教わっても意味がない。
不幸をなだめるには「デタラメ・あきらめ・いい加減」がいいと教わっても詮ない。
どれほど正しい助言や忠言をされても哀しいことにさほどの効果はないのである。
ならば、いつ人は救われるのか。自分で腹の底から気づいたときである。
おのれの不幸は「こだわり・プライド・被害妄想」によっていると深々と認める。
「デタラメ・あきらめ・いい加減」で生きていくのがいいと自分から目覚める。
いくら他人から正しいアドバイスをされても意味はない。
どれほど相手のためを思って正しいアドバイスをしてもどうしようもなく伝わらない。
何度も書くが、自分で気がつくしかないのである。
世間様の価値観を捨てて、自分で世界にひとりしかいない自分を直視するしかない。
ひろさちや氏は人生相談が嫌いだという。

「わたしは人生相談の類が好きではありません。
人生相談、身の上相談、教育相談、育児相談……いろいろありますが、
自分の悩みをいくら他人に相談してみたところで、それが解決されるわけがありません。
自分の悩みは自分で解決すべきです。自分で解決しないと、解決されないのです。
そして、それらの相談は本質的には、
――世間の物差し――
にもとづいてなされます。
最近は身の上相談をカウンセリングとスマートに呼んでいるようですが、
そしてカウンセリングには精神医学や心理学の方面からの協力もあるようですが、
医学にしろ心理学にしろ、
科学というものは本質的に世間の物差しに立脚しているのです。
たとえば医者は、長生きできることはよいことであり、
一日でも一時間でも長らえさせることはいいことなんだ、
という物差しを前提に仕事をします。
ひょっとしたら早く死んだほうが幸せかもしれない……
といった疑問があったのでは、医学は成り立ちません」(P16)


自分で気づく、自分で発見するとは、世間の価値観を捨てるということなのだろう。
たしかに「デタラメ・あきらめ・いい加減」はどれも世間的評価のよくない言葉である。
一方で「こだわり・プライド・被害妄想」は世間で評価の高い言葉だ。
被害妄想とは、要するにライバルに負けるなと自分を叱咤することである。
プライドを持ったこだわりのある職人みたいな存在を世間はなぜか高く評価する。
しかし、そこにこそまさに現代の落とし穴があるのだろう。
現代の呪術医たるひろさちや氏と精神科医の春日武彦氏にたぶん共通する見解だと思う。

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