「ひろさちやの「日蓮」を読む」

「ひろさちやの「日蓮」を読む」(佼成出版社) *再読

→ひろさちやさん、創価学会はNGみたいだけれど立正佼成会はいいのかな。
立正佼成会はむかし創価学会と闘争していた新興宗教団体で、いま会員は激減中らしい。
佼成出版社は立正佼成会の出版部門とのこと。

さて本書で売れっ子宗教ライターのひろ氏は日蓮の生涯を佐渡流罪を転機として、
前期と後期で思想を分けたほうがいいのではないかと提案している。
従来の日蓮ファンは前期の政治的過激思想を好むが、
後期にはもっと成熟しているではないか、と言うのである。
なぜ前期の日蓮は「念仏者を殺せ」などと過激な発言をしたのか。
ひろ氏は日蓮の無師独悟(師匠がいないでひとりで悟った)を重く見る。
日蓮とて最初に寺に入ったときは師匠がいたのである。
だが、清澄寺の道善坊は熱心な念仏者であったという。
かといって、日蓮は道善のほかに師匠のようなものがいない。
通常は師匠の信仰する経典をまず第一に学び、それからほかの経典を学ぶらしい。
師匠の経典からスタートして、その理解を深めるためにほかの仏典を読む。
結果として、どのお経もすばらしいということがわかる。
ところが、日蓮は最初の師匠を否定してしまった。
念仏をしながら法華経を読めばよかったのではないかとひろさちや氏は言う。
前期の日蓮の不幸はこういう事情によるのではないか、とのことだ。
これは日蓮とおなじく無師で仏教を独学したひろ氏ならではの思いらしい。

佐渡流罪後に日蓮は変化したとして、
ひろさちや氏はその証拠としてある文書を出す(「種種御振舞御書」)。
これを読んで、たしかに日蓮は変わっていると思った。
独善的で排他的な日蓮は苦手だが、こんな文章を書くようになっていたとは。
一部孫引きする。

「釈迦如来の御ためには提婆達多(だいばだった)こそ第一の善知識なれ。
今の世間を見るに、人をよくなすものはかたうど(方人)よりも
強敵が人をばよくなしける」(P112)


釈迦にとっては、裏切り者の悪人、提婆達多がいちばんの師匠・親友である。
いまの世の中を見てみると、人は味方よりも敵によって成長させられているように思う。
これに引き続いて、日蓮はおのれを迫害したものたちに思いをはせる。
かつては憎んだ彼らがいたからこそ、いまのような法華経の行者になることができたのだ。
仇敵に感謝する一歩手前くらいまで後期の日蓮は成熟していたことがわかる。
ふむ、たしかにこの日蓮ならばわたしも受け入れることが可能だ。
ひろさちや氏は日蓮がもっと長生きしていればよかったのにと書いている。
そうしたらもっと成熟していたのではないか。
あるいは前期の自分を否定していたかもしれない。ひろ氏の独創的な論考である。
敵によって、いや論敵のおかげで自己の思想が成長するというのは、
よく知らないが西洋哲学のニーチェもおなじようなことをどこかで言っていたような気がする。

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