法華経(漢文)

「法華経(漢文)」(「日蓮宗のお経」/双葉社)

→法華経を漢文で読んだといっても、むろん全文ではない。
日蓮宗がおつとめとして読誦すると決めているところのみだ。
具体的には方便品(諸法実相)、如来寿量品(自我偈)、如来神力品(功徳アピール)、
宝塔偈(なにこれ?)、提婆達多品(女人成仏)、普門品偈(観音経)である。
法華経は現代語訳で読んだことがあるけれど、あれではまったく意味がないとこのたび悟る。
お経というのは呪術めいたところがいいのだと思う。
現代語訳で読んでもお経の味わいはさっぱりわからないような気がする。

さて、1ヶ月以上にわたって毎日のように法華経を読誦したのはなんのためか。
身もふたもないことをいうが、現世利益(功徳、現証)を求めて実験してみた。
いい大人がバカじゃないかと思われる方もいるかもしれない。
自分でもそう思わないこともないが、もう本当に人生が行き詰っているのだから仕方がない。
はっきり言って、なにをしたら人生が好転するかわからないのである。
人生で自分や周辺に確率の低いレアな偶然による不幸がひんぱんに発生するのはなぜか。
どうしたらこの人間を超えた偶然というものへアクセスできるか。
まさかコントロールできるとは思わないけれど、アクセスくらいできるのではないか。
そのとき法華経くらいしか思いつかなかった。
わらにもすがる思いというやつである。
実際、我われの人生は多くの偶然、つまり未知なる力に左右されているといえなくもない。
そういう不可思議な領域には(当面)科学的な方法よりも呪術的な方策が相性がいいと思った。
やってみなきゃわからないだろうという思いもあった。
人生はわけがわからないのである。
なぜか健康に注意している善男善女が難病に罹患(りかん)して苦しむのが人生だ。
いったい人生における人力と神力の比率はどのくらいなのだろう。
人によって考えは違うと思うが、わたしは人力3:神力7くらいではないかと思っている。

この本には34分のお経CDがついているので声を合わせて読んでみた。
毎日のようにこれに加えてさらにCDに入っていないお経まで読誦したのである。
合計すると1時間近くの時間を食う。
1ヶ月以上試してみた結果、現世利益はなにひとつとしてなかった。
むしろ、期待していたものがまたもや残念な結果となった。
体調もどちらかといえば、なんだかよくないのである(関係ないかもしれんが)。
信者さんからしたらいろいろなご反論があろうことは理解できる。
1ヶ月じゃ足らないというご意見もあるだろう。
ご本尊に向かって読経していないから功徳がなかったのだというご指摘もあろう。
白状すると、偉そうに半分ふんぞりかえって読経していた。
しかし、科学的な高等教育を受けた大人がそこまで法華経に謙虚になれるものか。
また、こういうご意見もあるのかもしれない。
この1ヶ月、交通事故に遭っていないのは法華経の功徳だうんぬん。
だが、その論法は新興宗教のだましのテクニックと紙一重だと思う。

1ヶ月以上も毎日のように読んだのだから法華経重要部分の内容はあたまに入っている。
それどころか、自分独自の読み方も可能になる。
だれも興味はないだろうが、この1ヶ月の修行(笑)の証としてメモしておこう。

方便品→本当の仏の教えは、おまえらにはわかんないんだからな。
強いていうなら諸法実相だ。諸法実相とは十如是だ。十如是とはなにか。
おまえら人間ごときにゃ世界のあり方の実相は絶対にわからねえってことだ。
キーワードは「第一稀有難解之法」だと思う。

如来寿量品→あっはっは、お釈迦さまは本当は死んでなかったのだ~よという真っ赤な嘘。
お釈迦さまよりも偉い宇宙仏(スーパーブッダ)のおれさまは不死身で、
常におまえらのためを思って法を説いてやってるんだから感謝しろよ。
いちばん重要な部分は「我浄土不毀(我が浄土は毀[やぶ]れざるに)」だと思う。
娑婆(しゃば)世界のほかに仏の世界(我浄土)を設定したのが大乗仏教の革命である。
この一文によって法華経も浄土三部経もおなじ教えであることがわかる。
法然は利便のうえで法華経を無視したけれども、
別に浄土教と法華経はことさら矛盾しているわけではないのである。
法華経は「説仏寿無量」だ。仏の寿命が無量(無限、永遠)であることを説く。

☆法華経=「説仏寿無量」=仏説無量寿経(大無量寿経)

この法華経で説かれている永遠仏を浄土教では阿弥陀仏といっているに過ぎない。
しかし、法華経の「仏語実不虚(仏語は実にして虚しからず)」は笑える。
「仏さま嘘つかない」と言いながら嘘だらけの法華経を考えついたやつは釈迦より偉大だ。

如来神力品→もっとも重要なのは「南無釈迦牟尼仏」ではないかと思う。
「南無釈迦牟尼仏」は「釈迦牟尼仏」よりも「南無」のほうがはるかに重い。
釈迦牟尼仏は法華経や阿弥陀仏としてもいい宇宙仏のことだろう。だとしたら――。

☆南無妙法蓮華経=南無釈迦牟尼仏=南無阿弥陀仏

それから如来神力品は創価学会などが法華経に現世利益ありとする根拠が書かれている。
その箇所はたぶんここだろう。
「説此経功徳 猶不能尽(此の経の功徳を説かんに、猶[な]お尽くすこと能わじ)」。
この「功徳」を現世利益と解釈していいのかわからないが、
それで信者さんに生きる希望が生まれるのなら悪くないのではないかと否定する気はない。

宝塔偈→この経を読むものは仏子で「住淳善地」と書かれている。
法華経を読むものは仏さまの子どもで「淳善の地に住するなり」――。
この本では「淳善の地」とは「浄土」であるという解釈をしている。
ならば、実のところ法華経も浄土を説いた教えだったということになる。

提婆達多品→こちらの脳みそがおかしいのか、読みながら感動して泣いてしまったことがある。
これは8歳の障害を持つ少女が仏さまになるお話として読めなくもないのである。
海底に住む龍女は人間よりも畜生に近い。
これは知的障害児や身体障害児と解釈してもいいのではないか。
わずか8歳の少女が偉そうな仏弟子や菩薩を負かすところがなんとも痛快である。
大乗仏教の真髄がこの女人成仏を描いた提婆達多品にあるのかもしれない。
偉そうな仏弟子なんぞ8歳の少女に劣る存在だというのが大乗仏教の世界観である。

普門品偈→観音経として読まれている箇所である。
俳人の山頭火が角付け(乞食)をしながら唱えたのが般若心経と観音経だ。
このため、ずっと観音経を山頭火のように漢文で読んでみたいと思っていた。
本書に収録されていてとても嬉しかった。
観音経を読んではじめて、法華経を古代インド語から漢文に訳した鳩摩羅什のすごさがわかる。
鳩摩羅什の法華経が名訳といわれているのに納得する。
観音経はまったくの現世利益のみをうたったお経であるのに詩的で美しい。
個人的には法華経よりも観音経のほうが好きかもしれない。
観音さまにおすがりするのが庶民の仏教だと思うからである。
我われ下賤な庶民が出家して欲望を断つなど、どだい無理というものだ。
原始仏教の釈迦が好きなどという御仁はどれだけご立派な生まれなのかと嫌味をいいたくなる。
観音さまにおすがりする。
人間釈迦ではなく絶対者をたのみ、わずかでも苦悩から救ってもらう。
実のところ、これが法華経の最大の教えではないかと思うくらいだ。

(関連記事)「法華経現代語訳」
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