ふたつの職業観

こんな過疎ブログをお読みの変人(失礼!)には、
「職業に貴賤はない」なんていう建前はあまり支持されないと思う。
かなしいことに職業のみならず、人間はそれぞれ容姿、家柄、内面によって貴賤がある。
たとえば名家の金持でも心根が賤しいものはいるし、
貧乏人でも人格が貴いとしか言いようがない尊敬したくなる人がいるだろう。
さて、職業の貴賤について思ったことを書きたい。
ふたつの貴賤判断レベルがあるのではないか。
第一は収入であり、これがいちばんわかりやすいと思う。
偽善的な物言いを廃せば、世間的には年収1千万のほうが2百万の人よりも偉い。
しかし、職業観はこれだけではない。金だけではない。ステータスという貴賤がある。
人によっては年収1千万の大企業社員よりも年収百万の芸術家を偉いとみなす。
世の中には大きな誤解あるいは救済があって(しつこいがこれは偉大なる救済だ!)、
なぜか自分を表現している(と思しき)職種は夢のギョーカイとされている。
この錯覚によって、奴隷以下の待遇でも具体例をあげればADやライターは救われている。
もちろん、ADやライターのみなが奴隷ではなく、少数ながら貴族のような身分のものもいる。
たとえばテレビ局正社員のADは、かりそめの奴隷だ。
受賞歴多数で高収入のライターさん(この場合は作家や脚本家という)もいよう。
意外と知られていないが、制作会社の奴隷ADになるのでさえ超高倍率なのである。
下請け編集プロダクションの奴隷ライターになるのも実のところかなりの難関だったりする。
奴隷ADや奴隷ライターがときにおのれをだれよりも幸福に思うことがあるのはこのためだ。
自分は選ばれた、多くの人がかなえられなかった夢を実現した成功者だよ。
こう思えばこそ、他人からは奴隷としか見えなくても、
本人は夢をかなえた果報者でいられる。プライドは傷つくどころか増すばかりだ。
一般人は奴隷さんの「寝てない自慢」にはまあ引くだろうが、
本人は嬉々として誇るのはこういう事情による。
批判したいのではない。とてもいいと思う。
時給2千円の接客業を蹴って時給換算したら百円以下の夢の仕事をするという人生もありだ。
わたしは夢追い人をかなしい自嘲とともに尊敬しよう。

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