役に立たないもの

いま法華経の一部を漢文で読んでいます。
意外なことに大学受験で無理やり詰め込んだ漢文の知識がとても役に立っているのですね。
あのとき漢文を勉強していなかったら、いまのように法華経を読めなかったと思います。
思うに、大学受験は言われているほど無価値ではないのではありませんか。
20歳まえの若い脳みそにいろいろ叩き込んでおくのは、
それはそれでいいのではないでしょうか。
いちばんたいせつな17、18、19歳時に受験勉強なんてくだらない、という意見があります。
それもまた正しいのでしょうが、その貴重な時期に無意味なことをやるのもまた悪くない。
なにかを強制されてはじめて自分がなにをしたいのか気づくという面もございましょう。
あんがい猛烈受験勉強も後年に実りをもたらすような気がします。
だって、30歳を過ぎたら新しいことを一から勉強なんて、まあできないでしょう(できます?)。
若いうちに大学受験というカセのために、
いやいやながら勉強するのも後になったらいいこともあるのではないかと思います。
考えてみれば、あのとき嫌いな数学をやっていたからいま確率の本を読めるわけですね。
後悔するのは、大学受験で世界史を選択しなかったことです(日本史&地理)。
齢を取ってからいくら本を読んでも脳が劣化しているのか、あたまに入ってきませんもの。

役に立たないと思っていたことが役立つ意外な体験はほかにもあります。
大学の第二外国語は中国語でした。
単位さえ取れれば成績なんてどうでもいいという姿勢でいやいや予習をしたものです。
現役女子が多い学部だったせいか、みんなマジメで、予習してこないと悪目立ちするんですよ。
こんなくっだらねえこと、なんでやらなきゃならないんだと当時は思っていました。
30を過ぎてからベトナムを遊びでふらふらしたことがあります。
ふとしたことから日本人学生に中国の「地球の歩き方」をもらいました。
それがきっかけでベトナムから陸路中国に入ったのですが、第二外国語が役立ちましたね。
数字を言える(聞ける)というだけでも個人旅行では大違いですから。
旅行もまた無駄に過ぎないからいいのかもしれません。
釈迦が出家したのとおなじ齢のとき、
やたら高額の海外旅行保険をかけてインドを3ヶ月まわったことがあります。
死んだらいくら支払われるだろうなんて不穏なことを考えながらです。
とにもかくにもインドは不愉快でしたね。
インド人の半数以上は日本の精神医学が言うところの人格障害ではないでしょうか。
しかし、無意味だと思っていたインド旅行体験も役立っています。
お経を読むとき、インドを実地で知っていることがすごい強みになるのですね。
インドの無駄なけばけばしさ、暑苦しさ、ぶっ飛んだ性格の自称聖者ども――。

だから、とは言えません。個人的な経験から、だからなんて結論づけられません。
だから、ではありませんが、もしかしたら役に立たないことにも意味があるのではありませんか。
たとえば、将来の役に立てばいいと資格を取られる方がおられますでしょう。
身もふたもないことを言うようですが、資格なんてほとんど役立たないのではないでしょうか。
いや、これは言い過ぎですね。役に立つ資格もあるでしょう。
しかし、いいですか、たしかに医師の国家資格を取るのはたいへんでしょうけれど、
よしんば苦労して取ったこところで医者なんて日本には腐るほどいるわけですね。
資格のよくないところは、他者(他人)からの承認(評価)であるところです。
たくさん資格を取っている人ほど、自分がなくなってしまうようなところがあります。
自分はこんな資格を所持していると自慢したって、しょせんは他人からの評価に過ぎない。
そのうえ、そんな資格を持っているものはいくらだっているでしょう。
資格というものは、ぜんぜんその人のオリジナル(個性)とは関係ないのですね。
というよりむしろ、個性からもっとも遠いものが資格と言ってもいいのではないでしょうか。

その人がほかの人とは違う点、
つまり個性は役に立たないものが関係しているような気がします。
役に立たないことをどれだけしているかが、その人の個性ではないでしょうか。
役に立つことをしている人はたくさんいるわけですから、みんなおなじになってしまう。
アメリカのカタカナの資格なんて、持っている人は大勢いるわけです。
それに資格は他人からの評価で、自己の内的権威からはもっとも遠いものになります。
ふたたび申しますと、一般的には役に立たないことこそ、
その人がその人であるものを作っているのではありませんか。
だれも知らないような作家の全作品を読んでいるのは、その人の個性でしょう。
バカな女子からはオタクと嫌われても、恐竜のことをだれよりも知っているのは個性です。
恐竜検定(あるのか知らん)何級とか自慢するのではなく、好きというのが個性であります。
骨董を集めるのも個性でしょうが、ありがちの成金趣味でつまらないとも言えましょう。
なんの価値もないカップ酒のラベルを収集しているのは間違いなく個性でしょう。
大半の人が無価値だと思うくだらないものに、
ある人がその人だけの高価値をつける行為がまさしく個性ではないでしょうか。
ベストセラーの本をいくら読んだところで、どこにでもいる凡庸な人間になるだけです。
流行の衣服を身にまとい人気映画を観て食べログ高評価レストランで食事するのはクズです。
いや、クズはもちろん失言でしたが、おもしろみのある人間とは言えないのではありませんか。

なにを申し上げたいのか。役に立たないことがいいんです。
もっと役に立たないことを率先してしませんか。役に立たないものを集めましょうよ。
というのも、わからないぞ、と思うからです。
なぜなら将来のことは決してだれにもわからないからであります。
将来の役に立てようと資格を取っても、資格が使えるのは10%くらいの確率でしょう。
もちろん、この10%という数字はいいかげんですけれど。
そもそも将来のことは絶対にわからないのでパーセンテージでは言えません。
さて、将来のことがわからないのであれば、役に立たないものがどうなるかもわかりません。
もしかしたら役に立たないと思っていたことが身を助けるようなことがあるかもしれない。
その確率は(だれも調べていないのでわかりませんが)資格よりも高いかもしれないわけです。
繰り返しますが、わかりませんけれど。将来のことはわからない。
意味がないこと、価値がないこと、役に立たないこと、というのはあくまでも人間の判断です。
もし神仏がいたとして、神仏の眼から見たら、意味、価値、効能は逆転するのかもしれません。
お経を読むなんてまったくの無意味でしょうが、こういうことに気づく利点もあるわけです。
いままったく現世利益を求めず(これは半分ウソ)法華経を漢文で繰り返し読んでいます。

COMMENT

太秦鳴門 URL @
10/28 21:17
. 感動しました。

いつもありがとうございます。








 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/3381-dc301eba