「屈折愛」

「屈折愛」(春日武彦/文春文庫)

→精神科医の春日武彦氏のこの本を読んで、精神医学とは物語なのだとつくづく思った。
変な人がいて周囲が迷惑している。
変な人本人も自分はおかしいのではないかという、うっすらとした自覚はあるものの、
まさにその変な感じを言葉にすることができない。
そこに精神科医が現われ、それは「○○」だと指摘することで、本人も周囲も安心し、
その安心に支えられた正しさをベースにして精神科医が変な人と面談するのである。
古典的なものでは統合失調症(精神分裂病)や双極性障害(躁鬱病)がそうである。

春日医師も精神医学のこの仕組みに本書において自覚的である。
というのも、新しい言葉に関する説明からこの本を始めている。
精神科医がまず指摘するのは「B級」という言葉である。
B級映画、B級グルメ、B級ニュースなどで使われるあれだ。
春日医師は「B級」という言葉が世に出たことによって、ある種の嗜好が明確化され、
その感覚が社会で広く市民権を得るにいたったという。
おなじような言葉に「電波系」があるともいう。
さて、本書の親本(単行本)のタイトルは、
「ザ・ストーカー/愛が狂気に変わるとき」だったという。
書かれた背景には当時(1997年)のストーカーブームがあったとのこと。
たしかに新語「ストーカー」も「B級」や「電波系」といった言葉の同類である。
新語が世に出たことによって、言葉の意味が広がり、ある種の人を説明してしまう。
いまわたしが思いついたのは「中二病」というのもそうである。
ある種の現象や人的タイプを説明する新語を、
管理および操作する役割をたとえば春日武彦氏のような精神科医がになっている。

で、本書はまだ定義すらない新語「ストーカー」の説明、物語を目的にしている。
春日武彦医師は、精神医学に30年ほどまえから登場するようになった、
「ボーダーライン人格障害」をストーカー物語の補強として用いる。
ストーカーのようなことをする変な人たちはボーダーライン人格障害の疑いがある。
春日医師のこの説明で当時の読者たちはそれなりの安心をおぼえたことであろう。
まったくの新しい現象ではなく、かつてからあったという物語が与えられたからである。
自身のストーカー加害者体験を小説に書いた「もてない男」がいるが、
たしかにボーダーライン人格障害はその人物の説明として妥当なように思う。

「ボーダーライン人格障害の人々は、
人間相互の「無条件の信頼感」というものに欠損がある。
疑い深いというよりも、対人関係に根源的な不安感がある。
他人を信頼できぬがゆえに強い「よるべなさ」があり、
常に見捨てられることを恐れている。孤独や孤立を恐怖している」(P91)


はっきりいって、わたしも含め、こういう人はごまんといるのだが、
たぶん春日医師もその傾向があるし、むしろ当てはまらない人のほうが少なそうだが、
それだけに、言葉は悪いけれど学のない人ほど
ボーダーライン人格障害という言葉に救われるのである。
僕のモトカノはボーダーライン人格障害だったのか! 
あの上司は間違いなくボーダーライン人格障害だ!
皮肉なことをいうと、精神科医以外が病名をつけても該当者は病人にはならないのだが、
しかしそれでも嫌いな不愉快なやつが世にたくさんいるボーダーライン人格障害だという
物語を得ることで、(自称)被害者は深い心の安らぎをもたらされるだろう。
ボーダーライン人格障害本人はめったなことでは自分からは病院に行かないと思うけれど、
あまりにも周囲の迷惑になる若者は命令されてボーダーライン人格障害の病名を、
たとえば春日武彦氏のような精神科医から押しいただいてくることだろう。
バカな若者はボーダーライン人格障害という言葉に選民意識を感じることもあろう。
これが精神科医の社会的機能のひとつである。

しかし、本書でも指摘されていたが、どっちが異常(妄想)かというのは難しいのだろう。
たとえば、大学教授が女子生徒にストーカーを仕掛けた場合、
立場においては教授のほうが上だからなかなか真相が露見しないことになる。
本書を読んで思ったが、最強のストーカーは精神科医が行なうものではないか。
とはいえ、こと春日武彦氏にかぎっては、いつも自分が異常ではないかと疑っている面があり、
このため春日先生のような人はめったにストーカーにはならないという法則は見いだせよう。

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