「友達がいないということ」

「友達がいないということ」(小谷野敦/ちくまプリマー新書)

→友達という言葉に関する最大の恐怖はあれである。
かりにこっちが友達だと思っていても、相手がどう思っているかわからないということだ。
要するに、他人の気持はわからない。
よって、ぼくは自分に友達がいるのかどうかわからない。
なぜなら、たとえぼくが友達だと思っていても、向こうはそうではないかもしれないからだ。
基本的に家族以外の人間関係は(家族も例外ではないとも言えるが)損得が入らざるをえない。
ぼくはプラスマイナスを見たら、あまり相手に与えられるプラスがない。
一緒にいても見栄えするわけでもないし、話もつまらないし、他人に合わすのが苦手だ。
たまに一緒にいてくれる人や話し相手になってくれる人がいると
感謝で胸がいっぱいになる(大げさやね)。

友達は幸福とおなじであまり考えないほうがいいような気がする。
友達ってなんだろうと考え始めると心が病んでくるようなところがないか。
やたら孤独感が強いらしい著者が主張するのは、
顔の見えない名前も知らないネット友達も友達と思っていいのではないか?
これは人それぞれでそう思える人はそう思って孤独をごまかせばいいのだろう。
ぼくは相手のブログを毎日読みに行くような行為をなぜかストレスに感じてしまうので、
ネット友達はできにくいだろう。

著者の分析では、テレビ番組「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングにおける、
「友達の友達は友達だ、みんなで広げよう、友だちの輪!」というキャッチフレーズが
「友達至上主義」の圧力をいっそう強めたということである。
たしかに「友達の友達は友達か?」というのは、かなりおもしろい問題だと思う。
社交的な友達の多い人は「友達の友達」をその後友達にしていることに気づく。
ぼくは友達の友達というのがいまのところどうやら苦手なようだ。
二人でいるのが好きで、三人、四人となると立ち振る舞いがぎこちなくなる。
今後修練を積まなければいけないのかもしれないし、どうにもならないのかもしれない。

ぼくの結論――。
友達はいたらいいのだろうが、しかし作ろうと思って作れるわけでもなく、
友達なんていらないと思っていても気が合うやつはふと現われるもので、
そうはいっても人はいつか離れていくものだから依存せず、
もしかしたら友達がいないことよりも、
友達がいないと見られることを怖れているのではないか、ということに気づいたうえで、
なるべくひとりでもできる好きなことの研鑽を積んでおくべきだろう。

COMMENT

みな URL @
02/09 05:58
. 私も別に自然の流れでいいと思うタイプです。無理して作る事無いし、いたらいたでそれも良し。なんだか、ハマっちゃってずっと読んでてコメントしまくってますが(笑)何で俺には、こんな変なのが来るんだろうとか、思われてるかも。 爆笑

すみません、だって面白いんだもん。








 

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