「幸運と不運には法則がある」

「幸運と不運には法則がある」(宮永博史/講談社+α新書)

→信じられないことにこの齢まで生きながらえて、
わずかながらではあるが世の人々の浮き沈みを見てきた。
質量ともに貧しいながらも人生体験と読書体験を蓄積した。
結果思うのは、幸運と不運にはまったく法則性が感じられないということだ。
人生はまったくのアットランダムでバッドやグッドが出てくるゲームではないかと思う。
アットランダムとは日本語で言うデタラメである。
デタラメよりもアットランダムと言ったほうが
なにやら米国科学的つまり知的な感じがしていいだろうとこちらで判断した。
バッド、バッド、バッドとアットランダムにバッドしか出ない人生もあろう。
バッド連続人生の場合、たまに出たグッドに涙するはずである。
一方、まったく非因果的にグッド、グッド、グッドばかり出る人生もなかにはある。
別に心がけがいいからではなく、グッドだから心がきれいでいられるに過ぎない。
心がけが悪いからバッドなのではなく、バッドだから心も黒ずむのである。

新興宗教なんかもアットランダム理論で説明できる。
たいがい怪しい新興宗教にはまるのはバッドもバッド、ワーストのときだろう。
アットランダムだから、確率的にそこまでバッドが続くこともまあ少ないのである。
そうだとしたら、ワーストの次はグッドが来やすいことになる。
これを教団は功徳だのなんだのと言いがかりをつけ宗教に依存させるのである。
ワーストの次は軽いバッドでもよくなったように見えなくもないのである。
もしアットランダム理論が正しいのならば、幸運法則も成功法則もないことになる。
わたしはたぶんアットランダム理論がかなりのところ正しいのではないかと思っているが、
完全にアットランダムだと考えると難病到来とか交通事故四肢切断とか怖すぎるし、
やはりまったくのアットランダムだとすると無気力になり人生が味気なくなるから、
たまにこういう本――「幸運と不運には法則がある」を読みたくなるのである。

著者はどういう方かというと、寺に貼ってある「本気でやればなんでもできる」
のようなチラシを読んで、そうだ、そうだと感動してしまうような好人物だ(P37)。
本書でもいろいろ幸運の法則らしきものが書かれているが、
根底にあるのは「本気でやればなんでもできる」のような幻想だと思う。
なぜなら成功者や幸運な人しかサンプルに取っていないからだ。
だれでも知っていることだが99%は人生で成功なんて味わえないのである。
1%から著者が恣意的に採取した法則だって99%の失敗者もやっていたのである。
なにやら法則があって、それをうまく用いれば幸運が舞い込むというのは虚偽だが、
我われ愚かな人間は完全なる無意味にはちょっと耐えられないから、
眉唾(まゆつば)程度に幸運法則をあたまに入れて、
人生不運ばかりではないとおのれを慰めるのも一興ではないかと思う。
決して肩書で判断しているわけではないが、著者の言葉だとあまり重みがないので、
ここは夏目漱石の弟子で物理学者でもあった寺田寅彦にご登場願おう。
ゆっくり幸運を待っていようという寺田寅彦の言葉である。
違っているかもしれないが、わたしはそう解釈した。

「いわゆる頭のいい人は、云わば脚の早い旅人のようなものである。
人よりも先に人のまだ行かない処へ行き着くことも出来る代りに、
途中の道端あるいはちょっとした脇道にある肝心なものを見落す恐れがある。
頭の悪い人、脚ののろい人がずっと後からおくれて来て
訳もなくその大事な宝物を拾って行く場合がある。
頭のいい人は、云わば富士の裾野まで来て、そこから頂上を眺めただけで、
それで富士の全体を呑込んで東京へ引返すという心配がある。
富士はやはり登ってみなければ分からない」(P239)


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