「拳銃と十五の短編」

「拳銃と十五の短編」(三浦哲郎/講談社文庫)

→三浦哲郎の私小説というのは、いったいどこまでが本当なのだろう。
お姉さん二人が自殺、お兄さん二人が失踪、ここまでは事実だと思う。
本書に出てくる話だが、作者が二十歳のころに
医者に失恋した白子症(アルビノ)の姉が自殺未遂したというのは本当なのだろうか。
都内に住んでいるその医者が死んだということで故郷の姉から作者に電話が入る。
そこから姉の自殺未遂が回想されるというのが短編小説「水仙」だ。
かりに本当だとして、いくら家族とはいえ、こんな秘密に属することを書いていいのか。
というのも、その白子症の姉は当時まだ存命しており故郷で琴の師匠をしているという。
どんな田舎にも書籍は流通しているわけで、
こんなことを書いたら田舎の人はうわさ好きだから
その姉を色眼鏡をかけて見るようになるのは当然で、ならばモデルは迷惑するのではないか。
とするならば、白子症の姉の自殺未遂はやはり本当に起きたことなのだろう。
もしフィクションだとしたら、それは人間としてやってはいけない行動になってしまう。

死んだ父の遺品から拳銃が見つかったというのは本当なのだろうか。
あまりにもうまい小道具すぎるのである。父は死んでいるからウソでも迷惑はかからない。
ならば、父の遺品に拳銃があったというのは、あるいはフィクションではなかろうか。
話ができすぎている気がするのである。
なぜ病死した父は拳銃を持っていたのだろうと三浦哲郎は父のことを思う。

「私は、父親の病気が再発したという知らせを受けて帰ってきて、
毎日すこしずつ死んでゆく父親を見守りながら、
村の郷土の子に生まれ、町の呉服屋の婿になり、白い子供を二人持ち、
娘たちには勝手に死なれ、息子たちには家出をされた男親というものは、
一体なにを支えにして生きるものかと、そんなことばかり考えていたものだが、
金庫の底から出てきた形見の拳銃を目にした途端に、
父親のすべてがわかったような気がしたのであった。
この拳銃こそが父親の支えだったのではあるまいか。
その気になれば、いつだって死ねる。確実に死ぬための道具もある――
そういう思いが、父親をこの齢まで生き延びさせたのではあるまいか。
私はそう思ったのだ」(P19)


もしこの拳銃の話が事実だとしたら、
三浦家の八人は哲郎以外、全員自殺願望を持っていたことになる。
実際に自殺してしまたものが二人、失踪というかたちで自滅したものが二人。
母が自殺を思ったことのあることは「愁月記」に書かれている。
父までもいざとなったら自殺しようと拳銃を隠し持っていたのである。
なぜ三浦哲郎は滅びの血を継承していながら自殺をしなかったのか。
芥川賞受賞作「忍ぶ川」に出てくる美しい志乃と25歳のときに学生結婚したからである。
三浦哲郎の自殺した姉二人、失踪した兄二人は未婚であった。
さらに作家は28歳のとき健康な娘をさずかっている。
これでもう死ねなくなったのである。30歳で芥川賞受賞。よけい死ねない。
とはいえ、いちばん大きかったのは25歳のときに美しい女から愛されたことだろう。
三浦青年は大層ハンサムだったというから(瀬戸内寂聴「奇縁まんだら」)、
ならば呪われた生まれの血がこの場合は身を助けたということになろう。
本書でも作者と思しき人物が自殺を批判している。

「自殺ってやつは、あとに残る者へ自分の中身をそっくり預けて、
抜け殻になることじゃないか。死んだ奴はそれで楽になるが、
あとに残された者は死んだ奴の分まで荷物を背負わされてしまう。
死ぬ自分より、死なれる相棒や身内の方がどれほど難儀なものか、死ぬ奴は知らない。
尤(もっと)も、そんなことを知っていたら、おいそれとは死ねないさ。
だけど、死ねないのが当り前なんだ。
死ねなかったら、みんなと一緒にじっと生きてたらいいじゃないか」(P75)


かわいい嫁をもらい娘にも恵まれ、文壇でも出世した男の言葉だと思うと鼻につくが、
おなじ自死遺族のひとりとしてはまったくの正論だと思う。
しかし、自滅したきょうだい四人がいなければ、「忍ぶ川」は書けなかったであろう。
もし人生の道を踏み外したきょうだい四人がいなけければ、
この「拳銃と十五の短編」も書けず、野間文芸賞を受賞することもなかったのである。
さて、この短編小説集によると、死んだきょうだいは四人ではないらしい。
もう一人、三浦哲郎には姉がいたが、生まれてすぐに死んだという。
三浦哲郎はこの秘密を従姉から教わり、従姉は哲郎がこの事実を知らなかったことに驚く。
作家は一度も母から聞かされたことがなかったという。
生まれてひと月たらずで死んだ赤ん坊は姉ふたりとおなじく白子症であった。
このため、三浦哲郎は母がその白子症の赤ん坊を
間引いた(殺した)のではないかという疑いを持つ。
恐ろしくて母親には、この仏壇に位牌もない清子という姉について聞けないと作者はいう。
しかし、書いてしまっているではないか。書いたらみなの知るところになるのだぞ。
この生まれてすぐに死んだ白子症の清子という赤ん坊は本当に存在したのだろうか。
それとも小説家のフィクションなのだろうか。
本当のことでもフィクションでもこのことを書いたら母親は傷つくだろう。
あんがいフィクションだったほうが傷つかないのか。
小説家というのはみなウソつきである。
文筆を生業として地元のほまれのようになった息子の書いた小説なら、
母親はなにもかも許したであろう。
本当のことはたぶん三浦哲郎と母親しか知らなかったはずである。
そして、もうどちらも死んでいるから本当のことは永遠にわからない。
それにしても、これだけ呪われた血を持つ三浦哲郎は、
よく結婚しなおかつ妻をはらませることができたと感心する。
そうしなければ生きていけなかったのかもしれないが、
それがよかったのかどうかの答えはまだ出ていない。いや、もう出ているのか。

「勿論、私には自分の血を怖れる気持がある。
私のところには女の子ばかり三人いるが、
この子たちが将来染粉を要る子[白子症]を生むことになりはしないだろうか
と考えたりすると、忽(たちま)ち夜が白夜のようになってしまう」(P157)


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