「愁月記」

「愁月記」(三浦哲郎/新潮文庫)絶版

→読みながらわんわん涙がとまらなかったが、
三浦哲郎の書くものは自死遺族文学なのである。
穢(けが)れた血の文学である。
瀬戸内寂聴さんによると、若いころの三浦哲郎はぞくぞくするほどの美青年だったという。
おのれの穢れた血を文学作品として克明に記録した三浦さんももう逝ってしまった。
果たして穢れは文学で昇華できたのだろうか。
三浦哲郎にはお嬢さんが三人いる。
三浦さんに何人お孫さんがいて、そのうち遺伝病や自滅、失踪したものはいるのか。
知りたいけれども、軽々しい興味からは知ってはいけないことなのだろう。
本書は穢れた家族のことを描いた私小説である。亡母のことが中心になっている。
白子症(アルビノ)の娘を二人産んだ母親の91年の人生というのはなんだったのか。
母は娘を三人、息子も三人産んだけれども、そのうち二人が自殺、二人が失踪してしまった。
三浦哲郎はむかし母の声を聞いたことがあるという。
いや、あれは母の声だったかは、正確には思い出せない。

「そういえば、たった一遍だけ、気弱になって、よからぬことを考えたったけな。
寝ていて、ぼんやり箪笥(たんす)の引手を見上げて、
あのいちばん上のやつに腰紐(こしひも)を掛けたら……
そしたら早く楽になれるなあって、そう考えた。
魔が差したって、ああいうときのこったえなあ」(P17)


この母は三浦哲郎を産むかどうかだいぶ迷ったという事実を後年作者は知る。
自然に流産できないか、何度か母は試したこともあったという。
白子症の子を二人も産んでいるのだから仕方がない。
産婆に励まされて6人目の子を産むことにしたという。
このような事情を後年産婆から聞いた話を三浦哲郎はそのまま小説にしている。
産婆から「お子さんは?」と聞かれる。
作者は「女の子ですが、目も肌も黒い子です」と答える。
産婆は安心して言う。
「時には、蛮勇みたいなものが必要ですね、自分の道を切りひらくには」
この小説集からわかったことは、自殺は50年も後を引くということである。
三浦家が破滅の道を進むようになったきっかけは次姉が19のときに、
よりによって三浦哲郎の6歳の誕生日に青函連絡船から投身自殺したことである。
あれから50年経っても三浦哲郎のかなしみは消えていない。
中年作家はいまや三人の娘を持つ父親でもある。過去に縛られた一人旅をしている。

「バスの発車時刻にはまだ間があったので、去年のように裏の岩浜に降りてみた。
去年、子熊の縫いぐるみをみたときもそうだったが、
この腐れかけた花束も海峡からの漂着物に違いないと、すぐにそう思った。
私は、家に三人いる娘たちが姉の享年とおなじ十九になるたびに、
その子を連れてこの海峡にくる。
青森から、姉が乗ったのとおなじ夜航の連絡船に二人で乗って、
姉の短かった生涯や、姉をこの船の回廊にまで追い詰めた事情の数々を、
隠さずに話して聞かせる。その折に、
海峡のまんなかあたりで同行の娘が暗い海面に落してやる菊の花束が思い出された」(P130)


白子症の長姉は睡眠薬自殺している。
おなじく白子症の姉は一度未遂をしたが生きながらえ、いま60も半ばである。
目が不自由なため、ずっと母親と暮らしてきたが、いまその母も死んだ。
三浦哲郎は姉のことを思う。

「姉が色素のない体に生まれついたのは、誰のせいでもない。
けれども、姉にすれば、産んだおふくろのせいだと思うほかなく、
おふくろもまた、自分が産み損なったのだと思わずにはいられなくて、
一方は絶えず相手を和毛(にこげ)の棘(とげ)で責めつづけ、
一方はそれを甘んじて受けながらひたすら相手を案じることで、
二人は根強く結ばれていたのではなかろうか」(P84)


どうしてこうなのだろうか。
三浦哲郎は大学時代、新聞社の入社試験を受けたという。
学科試験の後に身上調書を書きなさいと言われた。嘘やごまかしを書いてはいけない。
家族の名前、続柄、年齢、職業、死因を書かねければならない。
三浦哲郎の筆はとまった。六人きょうだいのうちすでに四人が欠けていたからである。
兄ふたりは行方不明。長姉は睡眠薬自殺。次姉は投身自殺。
しかし、三浦哲郎は死因に自殺と書けなかったという。
自殺者にとって自殺は方法であって、本当の死因は別にあるはずである。
行方不明だってそれぞれの、のっぴきならない事情があるだろう。
自殺、行方不明と簡単に記してしまっていいのか。
書いたところで結果はわかっている。八人家族のうち半分が人生の落伍者である。
一家から自殺者を二人、失踪者を二人出しているとは、ただごとではない。
しかも、四人ともまだ若年のうちに道を踏み外している。
人事担当者は思うはずだ。こういう薄気味悪い男とは関わり合いたくないと。
三浦哲郎は身上調書を白紙のまま裏返し、会場を後にしたという。

「その晩、住んでいるアパートに近い三軒茶屋の屋台店で、
モツの煮込みを肴(さかな)に梅酢で色をつけただけの安い焼酎を飲みながら、
今日の調書に書けなかった兄や姉たちの短かった生涯と死因を
いつか自分の手でかならず書こう、勿論(もちろん)彼ら一人一人のためにも、
彼らを恥じて残りの生涯を伏目がちに生きた両親のためにも、
置き去りにされた末弟のひそかな追憶の証(あかし)として、
かならず書こうと、ひとりで誓いを立てたものだが、
肝腎の自分自身がいっこうに熟さなくて、
それを実現させるのに二十五年もかかってしまった」(P196)


常識人はこういう暗い男に逢ったら、どんな言葉をかけるのだろうか。
「早く忘れろよ」「前向きになれ」「ポジティブがいちばんだ」「いい宗教があるよ」
男は前向きにならず過去にこだわりつづけ、家の恥を作品として世に問い、
無宗教のまま2010年に79歳でこの世を旅立った。
あの世でだれとどんな話をしているのだろう。

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