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「宗教練習問題」

「宗教練習問題」(ひろさちや/新潮文庫)

→選択肢問題形式になっているが、
こちらはひろさんのファンでたくさん読んでいるから正答率が異常に高い。
もちろん、ひろさんもご存じでしょうが、宗教問題に正答なんてないんでしょうけれど。
いや、正答があると思っているのだろうか。
というのも、ひろさんはホンモノ宗教、
インチキ宗教、ニセモノ宗教があると主張するからだ。
まったく勉強が足らないぼくの考えでは、宗教はぜんぶインチキのような気がしている。
インチキ(フィクション)だから救われるのではないか。
究極のインチキ(フィクション)はホンモノとイコールになるという思いがある。
ひろさんのホンモノ宗教論を拝聴しよう。

「ともあれ、いかなる宗教も、その集団性・社会性・教団性が強調されると
ニセモノ宗教になります。だから、このようなニセモノ宗教に対して
ホンモノ宗教のホンモノ性は何かといえば。
――わたしひとり――
ということでしょう。国家や社会、共同体、あるいは教団全体に対して、
「このわたし」が優先されるのがホンモノ宗教のホンモノ性です」(P118)


ああ、これならわかります、ひろ先生! たしかにそれがホンモノ宗教だと思う。
でも、それってどこにも所属しちゃいけないわけだから、
国家に調査されたときに無宗教になってしまうのでは?
つねづね思っているのだが、どこの教団にも所属していないひろさんやぼくは無宗教では?
組織に所属したら絶対に面倒くさいイベントに参加しろとか言われるわけで、
それが「わたしひとり」をたいせつにしたい気持を邪魔する。
よく知らん教祖様をみんなとおなじように拝めと言われるのを、
「わたしひとり」が拒否してしまうのである。

祈らないのが本当の信心だというひろさんの過激な主張はおもしろかった。
まったくそうだと卓見に感動したくらいである。
本当に絶対者の神仏がいるのならば、間違ったことはしないのだから、
起こることはすべて正しく、
こちらから「ああしてくれ」「こうしてくれ」と祈るのはおかしいことになる。

「また、神仏は、自分で考えて、よしと思ったことをされます。
したいようにされるのです。人間の希望を聞いて、あるいは人間と相談して、
そして人間の運命を決めるのではありません。
人間と無関係に、神はご自身の意思でもって決定されます」(P140)


全部神仏がよかれと思って決めているのだから、
我われは起こることをあるがままに受け入れるしかなく、
注文書のような祈りをするのは神仏を信じていないということに理論上はなってしまう。
とすると、我われは偶然を通して神仏のご意思を知ればいいだけになる。

「アナトール・フランス(一八八四-一九二四)というフランスのノーベル賞作家は、
随想集の『エピクロスの園』の中で、
≪偶然――
人生においては、偶然というものを考慮に入れなければならない。
偶然は、つまるところ、神である≫
と言っています。これは、神の本質を言い当てた名言です。
神の本質はデタラメにあるのです。
いや、神の必然はわれわれ人間にとって偶然になるのです。
なぜなら、われわれには神の必然がわからないからです」(P229)


全部最初から決まっている出来レースを我われは走っているということだ。
落馬するのも自分のミスではなく神があらかじめ決めていたこと。
最下位になることになっている騎手がどんなに神に祈ろうが結果は変わらない。
一位になる騎手がたとえ神を信じていなくても結果は変わらない。
神はこちらの言い分などまったく聞かずにすべてを決めており、
にもかかわらず、それはおのおのの人間にとってよかれと思ってのことなのである。
ならば、我われは「オーマイゴッド」あるいは「南無三宝」と叫んでいればいいのだろう。

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