「子どもの本の森へ」

「子どもの本の森へ」(河合隼雄・長田弘/岩波書店)

→河合隼雄先生の対談を読んでいて感心するのは、
相手の発言をほとんど絶対と言ってもいいほど否定しないのである。
これは言い方を換えたら、相手にまかせているということだろう。
成り行きにまかせているとも、偶然にまかせているとも言えよう。
これは人それぞれでケースバイケースなのだろうが、
我が強いわたしは最近「相手にまかせる」ことをようやく覚えてきたようなところがある。
よかれと思って自分でなんやかんやはからうよりも、
相手にまかせていたほうが双方ともにうまくいくような経験を何度かしている。
もっとも相手が自分のように我が強すぎる場合は、ついていけなくて破綻するけれど。
そして、詐欺を見抜く目がないと相手にまかせていると大損してしまうこともあろう。
とはいえ、長年交際のある信頼できる相手なら、
相手にまかせるのがいちばんなのかもしれない。
いい歳をしたおっさんがいまさらそんなことに気づくのかと笑われてしまうかもしれないが。
わたしのなかでなぜか河合隼雄先生の比重は高いので、
恥ずかしながら「相手にまかせる」も先生に教わったことのひとつになる。
本書でも河合先生はとにかく会話の主導権を相手に託し、その流れについていっているのだ。

最近、村上春樹が自作の「アンダーグラウンド」を引き合いに出し(既読ですよ)、
河合隼雄くらいの傾聴なら自分もやったことがあると言っていたが(雑誌「考える人」)、
まったく寝言は寝て言え! と言いたくなってしまう。
一度や二度インタビューするのと、河合隼雄のカウンセリングはまったく違っていたはずだ。
この機会に言わせてもらうが、
どうしてか河合隼雄と村上春樹の対談本を過剰に評価する人が多いけれど、
心理療法家の対談を数多く読んできた当方から見ればあれは最低レベルの出来だ。
とにかく村上春樹のガードが固くて、ぜんぜんおもしろい対話になっていなかった。
とはいえ、ノーベル賞確実と言われる作家である。
本人や愛読者がハルキ・ムラカミを神格化するのは仕方がないのかもしれない。
村上春樹はどうでもいいので、河合隼雄の言葉を採録しておこう。
河合隼雄の権利継承者が無断引用禁止のような不穏なことをどこかのHPで書いていたが、
いままで一度も警告のようなものは来ていない。
さすがにわたしの河合隼雄先生へのリスペクトはお読みになればわかるのでしょう。

「昔は漢文の素読あった。それを否定したでしょう。
ところが漢文の素読を否定して、そこから暗誦そのものまで否定したのは間違ってます。
むしろ「二行でもええ。何でもええから、あなたの好きなところを、
音楽をつけてもええし、気持ちを込めて暗誦しなさい」と。
そうして、自分の好きな暗誦の大会というやつをやったら、これは楽しいですよ」(P7)


「ほんとに表現というやつがくるまでは、待っているよりしょうがないんです」(P104)

「大人になってからでは、完全には物語の中に入れないんです、どうしてもね。
子どものときに読んでいたら違ってくる」(P121)


「分かれ道でどっちへ行くのか、本人もわからないんだというところが何度も出てくる。
それがほんとうの旅だと思うんですね。答えがないところへ出ていく。
誰にとっても正しい答えがあるなどというばかなことはないわけです。
人によってぜったい答えが違うんですからね」(P126)


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