「往生極楽のはなし」

「往生極楽のはなし」(小堀光詮・ひろさちや/佼成出版社)

→三千院門主の小堀光詮なんてだれも知らないから本も売れないだろう。
だから、ひろさちや氏との共著にしたのがまるわかりでげんなりする。
本のいちばん最初には高そうな袈裟(法衣)を身にまとった小堀光詮のカラー写真。
虚栄心と偽善が顔全体に浮かんだ、いかにも庶民がイメージする高僧の面相で笑える。
どれだけ人の足を引っぱり、上にお追従を繰り返して、ここまで出世したのか。
今年の6月に三千院門主の小堀光詮は91歳で死んだらしい。
葬式ではみんな内心ニヤニヤしていたんではないかと邪推してしまう。
しかし、高僧のうまみは死んでもまだ終わらない。
三千院門主のご子息は延暦寺法務部長。しっかり権力を世襲しているのだ。
本書の冒頭で三千院門主、すなわち自分がいかに偉いかくどくどしく説明している。
なんでも天皇や皇太子もお見えになる寺だから三千院門主の小堀光詮は偉いらしい。
天台宗では座主がいちばん偉いが、
その座主よりも先に皇族に拝謁できるから三千院門主の小堀光詮は偉いのだ。
天台宗座主が自分をうらやましがっていたこともあるから、
(おまえらバカな読者のために繰り返すが←脳内妄想)三千院門主の小堀光詮はとても偉い。
こうして仏教書も上梓しているから、なおのこと三千院門主の小堀光詮は偉い。
――いやあ、ほんと仏教界って腐りきっていますね♪

ひろさちや氏との共著なのだが、どこをどちらが執筆したのかよくわからない。
二か所、参考になったところをメモする。
まず、融通念仏の祖とされる良忍について。
わたしがファンである一遍は熊野権現から「融通念仏すすむる聖」と声をかけられている。
これは一遍が証空(西山上人)や法然ではなく、
融通念仏の祖である良忍を慕っていたからではないか、と栗田勇氏が指摘していた。
だったら、融通念仏とはなにか、という興味があった。

「永久五年(一一一七)五月のある日のことです。
念仏三昧を修していた良忍に阿弥陀仏の示現がありました。
このとき良忍は四十六歳。彼は左のような偈(げ)を感得しました。
≪一人一切人、一切人一人、一行一切行、一切行一行≫
そして、彼はこの偈をもとにして、
――融通念仏の思想――
を確立しました。また大阪に現在の大念仏寺を建立するに至ったのです。
この融通念仏の思想は、お気づきのように『華厳経』の、
≪一即一切、一切即一≫――一がそのまま多であり、多がそのまま一である――
という考えにもとづいています」(P104)


華厳経は河合隼雄も言及していたし、信者としてはいつか読みたい。
本書に話を戻すと、上人と聖人の違いを知る。
官僧(国家公務員)の坊さんは上人。
官僧以外の私度僧(自称僧侶)みたいな坊さんは聖人、あるいは聖(ひじり)。
親鸞や日蓮は流罪になって国家資格を失っているから聖人。
一遍は国家資格がないから捨聖、念仏聖。
法然も一度流罪なったが、その後許されたので法然聖人ではなく法然上人が正しい。
へえ、なるほどと勉強になった。
しかし、一遍も一遍上人と表記されることがあるから、そこまで厳格ではないのだろう。

三千院門主の小堀光詮は出世して91歳まで長生きして、おまけに息子も出世させて。
およそ最高最上と言ってもいい恵まれた人生を送ったのだろう。ああ、うらやましい。

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