「法然上人とその弟子西山上人」

「法然上人とその弟子西山上人」(ひろさちや/春秋社)

→踊り念仏で知られる一遍の師匠が聖達。聖達の師匠が証空(西山上人)。
それでそれで証空の師匠がいちばん有名な法然なわけである。
正直さ、こちとらもうおっさんで記憶力が鈍っているのだから、
証空なら証空で西山上人(西山は地名かな?)とか別名をつけないでほしい。
いちいち覚えてらんないって。だれもおまえに興味なんてないんだよ。

白状すると証空(西山上人)なんて知らなかった。だれそれ? の話で。
ファンである一遍の師匠のそのまた師匠ということで興味を持ったわけである。
とはいえ、わざわざ専門書とか読む義理はないから、
いつものようにひろさちや先生のわかりやすいご本のお世話になるわけである。
この本を読んで、ふって瞬間的に思ったけれど(気の迷いかもしれない)、
いまの仏教界でいちばん偉いのはひろさちや先生ではないのん。
ひろ先生の偉いところはいろいろあるけれど、まず群れない!
仏教は弟子や子分を作って「先生は偉い!」と言ってもらいたがる人ばかりなんだ。
どこの宗派(派閥)にも属していないから、かなり好きなことを言えるのも先生の魅力。
それからひろさちや先生が偉いのは、仏教を完全な独学で勉強したところ。
(ちなみに梅原猛先生も仏教は独学のはず。だから、おもしろいとも言いうる)
大学や僧院(宗門)で勉強しちゃうと、基本的に師匠の教えにNOが言えないわけである。
なぜなら上役に絶対服従しないと、どこの組織だって出世できないのだから。
師匠にYESを言いつづけていると、そのうち自分のあたまで考えられなくなる。
むしろ自分のあたまでなんか考えないほうが仏教界(宗門、学界)で出世できる。
ひろさちや先生が偉いのは、すべて自分のあたまで考えた自分の言葉で
一見すると難解な仏教思想を平易に説明できるからである。
本当にあたまがよくないと絶対にひろさちや先生のような説明はできないと思う。
うほっ、ちょっと受賞歴ゼロの宗教ライターひろ先生をほめすぎちゃったかな。
しかし、受賞歴ゼロというのも偉いんだよ。
「捨ててこそ」なんて澄ました顔で言っている坊さんや仏教学者が、
実際は血まなこになって勲章を求めているのが現実というやつなのだから。
勲章が大好きなのはみなさんが嫌いな(好きな?)池田先生だけじゃないんだぜ。

本書もたいへんわかりやすく、かつおもしろかった。
自分の言葉で要点をメモしたい。まず基礎的知識を整理しておこう。

法然:浄土宗開祖。弁長、証空、親鸞の師匠。
弁長:浄土宗鎮西派の祖(浄土宗の主流)
証空:浄土宗西山派の祖(浄土宗の亜流で、宗派もまだ枝分かれするが省略)
親鸞:浄土真宗の開祖(後に巨大利権仏教団体に成長する)


4人のなかでいちばんマイナーなのは証空(西山上人)である。
しかし、3人の弟子のうちもっとも師匠に長期間にわたり教えを受けたのは証空。
というのも、親鸞(6年)、弁長(6年)、証空(22年)ゆえ。
そのうえ法然が後継者と決めていたのは親鸞でも弁長でもなく証空。
「法然上人亡きあとは、だれに教えを受けたらいいですか?」
九条兼実と実信房蓮生が法然にこの質問をしている。
そのときの法然の答えは両者に「証空こそ真の弟子」と言っている。
ところが、たった6年しか教えを受けていない親鸞や弁長のほうが
(表現はよくないが)成り上がったのだから、歴史というのは皮肉なもの。

証空にはヘタレ(弱虫)疑惑がある。
「嘉禄の法難」のとき、弁明書を出してひとり迫害を逃れたとのこと。
おなじく法然の弟子、隆寛、幸西、空阿の3人は流罪になる。
この法難は、当時主流派の天台宗が新興で人気の浄土宗へ行なおうとした嫌がらせ。
具体的には、天台宗の連中が権力にまかせて法然の御廟(墓)をぶち壊して、
なおかつ遺体を加茂川に流そうとした。
証空が日和見主義で逃げたのかどうかは解釈がわかれる。
証空は金持の坊ちゃんだったため反骨心がなかった、と見ることもできる。

法然の浄土宗立宗には批判もなくはなかったとのこと。
理由は、天台宗開祖の最澄や真言宗開祖の空海のように中国留学体験がないため。
それから立宗の根拠とした善導(中国僧)「観無量寿経疏」が弱い。
弱いというのは経典ではなく、経典を注釈した論書に過ぎないという意味。

法然ネタでもうひとつおもしろいゴシップを教えてもらった。
「法然上人伝記」に書いてあることだという。
あるとき法然と師匠の叡空が喧嘩をした。
法然「往生するのは称名念仏(声に出す念仏)がもっともいいんです」
叡空「馬鹿者! 観想念仏(想像する念仏)のほうが称名念仏よりもいいのじゃ」
法然「聖教によれば、それは間違っています」
叡空は激怒して法然をボコボコにグーで殴る。
法然「それでも称名念仏のほうが正しい。どうしてわからないんですか?」
叡空「わしの師匠の良忍さまがそうおっしゃっていたからじゃ」
法然「どうして先に生まれたというだけで良忍さまは正しいのですか?」
叡空はぶち切れて下駄を持ち出して来て、法然をこれでもかと殴打する。
法然「聖教をよくよくご覧になってください」

いろいろなことがわかる意味深いエピソードだと思う。
むかしから個性を育てる教育なんかなかったということ。
立場が上の人の言うことは絶対に正しく、反論したら殴られても文句は言えない。
仏僧といえども殴るときは殴る。権力が上ならば下駄で弟子を血まみれにしても構わない。
そして、ときに体罰が人を育てることもある。
好きなことを言うためには、むかしから法然のように組織から飛び出さなくてはならない。
組織ではだれの弟子かというのがかなり重要。
これはいまのサラリーマンがどの上司についていくかで出世が決まるようなもの。
大学院生が指導教授によってアカポス(職)にありつけるかどうかが決定するのもおなじ。

ひろさちや先生の俗っぽさ、ゲスなところがたまらなく好きだ。
比叡山は東大のようなもの。寺院での出世は親で決まる。
こういう本当のことは聖職者ぶった高僧にはとても書けないことだと思う。
ここはひろさちや先生のガチ発言を敬意を表してそのまま抜き書きする。

「当時の状況にあって、比叡山の天台宗における出家が、
僧としての栄達がいちばん見込まれます。
仁和寺や醍醐寺といった真言宗も出世コースです。
南都の東大寺や興福寺もあります。
インド的には、出家者となることは世間的な栄達を放棄することですが、
日本のお坊さんは、おかしなことに
むしろ僧になることによって立身出世をはかる側面があります。
もちろんすべてのお坊さんがそうであったというのではありませんが……。
だから、[西山]上人は久我通親の猶子であるのですから、
その七光りによって、出家しても僧の世界で偉くなれるのです」(P18)


むかしから「人生は親で決まる」は真実だったんだな~。
さてさて、証空は名門寺院ではなく、はみ出し者の法然の弟子になりたいと言ったのだが、
結果としてはおかげで後世に名が残るほどの仏僧になったわけだから、
いい上役を選んだとも言っても、まあ許されるのではないだろうか。
話は変わって、ひろさちや先生が読者からの相談手紙に返事を書かないのは、
以前どこかの著書で読んで知っていたことだ。
本書でひろ先生が批判にどう対応しているのか知ることができた。
一部の仏教関係者は破邪顕正とかおかしなことをひろ先生にも仕掛けてきたのだろう。
先生の基本スタイルは「批判する奴は勝手に批判させておけばいいのです」――。

「わたしなんかも、ときに言い掛りをつけられることがあります。
わたしにすれば言い掛りですが、相手にすれば批判だと思っている。
それをどこかの雑誌に書いて、わざわざわたしの所に送って来ます。
そのときは、わたしはそれを無視するか、相手が知っている人で無視できないときは、
「あなたの言われる点はよくわかりました。
以後、その点に留意して執筆するようにします」と返信を出します。
そうすると、自然におさまります」(P126)


ひろさちや先生は「人はわかりあえる」なんていう幻想を持っていないのだろう。
ねばねばした師弟関係よりもドライな関係を好む人であることがよくわかる。
だからひろ先生はまったく出世していないが、しかし一部読者からは支持されている。
わたしのような変な読者から好かれても迷惑なだけでしょうが、
ことさらファンレターを書くわけでもなく、
だれも読んでくれないブログにしこしこ本の感想を書いているくらいですので、
ひろさちや先生にとってはどうでもいいことでしょう。

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