「一遍聖絵」

「一遍聖絵」(聖戒/大橋俊雄:校注/岩波文庫) *再読

→うちらのようなおっさんおばさんは学校で「一遍上人絵伝」と習った国宝の絵巻物だ。
何度も読み返したが、これはひたすら絵のほうに価値があるのだと思う。
一遍の異母弟という聖戒の書いた文章にそれほどの意味はないような気がする。
とはいえ、絵画の鑑賞眼はからきし持ち合わせぬので言葉に頼るしかあるまい。

一遍の布教というのは要するに旅しながら念仏札を配るだけだったわけだ。
最初はどうして念仏札を渡すのが救いになるのかわからなかった。
一遍自身も布教当初に当然のようにこの問題に突き当たっている。
一遍はこの札を受け取って南無阿弥陀仏と唱えなさい、と言って回っていた。
ところが、である。熊野への道中のこと、
ある坊さんに一遍が念仏札を渡そうとしたら「いらん」と突き返された。
「どうして?」と一遍は問う。「信心がないからだ」と僧は答える。
「信心がないのにその札をもらったら嘘になるだろう?」
「受け取れ」「いらん」の押し問答でちょっとした騒動になってしまった。
結局、一遍は「信心がなくてもいいから受け取れ」と無理やり僧に念仏札を手渡したという。
それから一遍は迷うのである。
信心がない人に念仏札を渡していったいなんになるのだろうか。
熊野本宮神社に参詣した夜、一遍の夢に熊野権現が現われる。
権現は一遍にこう告げるのである。

「融通念仏すゝむる聖、いかに念仏をばあしくすゝめらるゝぞ。
御房のすゝすめによりて一切衆生はじめて往生すべきにあらず。
阿弥陀仏の十劫正覚に、一切衆生の往生は南無阿弥陀仏と必定するところ也。
信不信をえらばず、浄不浄をきらわず、その札をくばるべし」(P25)


信心のあるなしを選別せず、浄不浄を問題とはせずに念仏札を配れ。
一遍は熊野権現(日本の神様)から夢の中でこう言われ、迷いを吹っ切ったわけだ。
みなさんの中には、まだわけがわからない方が大勢おられるかもしれない。
なぜ一遍から念仏札をもらって南無阿弥陀仏と唱えることが救いになるのか。
一遍は、血の穢(けが)れた業病とも言われたハンセン病の患者にも布教している。
それどころか一遍集団につきしたがったハンセン病の人もいたようだ。
「けがれたるものも侍るらむ」(P89)とはハンセン病の患者ような気がする。
むろん差別的意図はないが、あるいはいまで言う精神障害者、身体障害者も、
この「けがれたるもの」の中に入っていたかもしれない。
「けがれたるもの」とは不浄の人たちのことだ。

さて、家族から捨てられたハンセン病の人に一遍はどんな救いを説くのか。
かならず絶対におのずから死が来るから、そのとき極楽浄土に往生して救われるよ。
どんな苦しみも悲しみも唐突に訪れる死によって消滅するから安心しなさい。
死を怖がっているようだが死は恐ろしいものではなくとても美しいものだ。
さらに至高絶頂の死はいつ来るかわからないから、いまこの瞬間に来るかもしれない。
それはとてもすばらしいことなんだ。
他力とは、どういう形でかはわからないがかならず死が来る力のことを言うのだ。
それは花が咲くのとおなじ力だ。花が散るのとおなじ力だ。
いま苦しいだろう。いま悲しいだろう。
しかし、苦しみはかならず消えて、死を経ることで極楽にいたることが決定している。
証拠は自分だ。一遍は死後に極楽浄土へ絶対往生すると信じている。南無阿弥陀仏。
だから、あなたもこの札を持って南無阿弥陀仏と唱えなさい。
以上、一遍があまたの苦難者に与えた救済である。

ある人があることを強く信じていると周囲のものも影響されてしまう。
これは俗に言うところのカリスマだが、
一遍はまさしくカリスマであり、スーパースターのような存在だったと思う。
微笑みかけられただけでだれもが心安らいでしまう、
いまで言うならば大物芸能人のようなオーラを一遍は持っていたのだろう。
安心しているにもかかわらず、ではなく、
安心しているからこそ捨て身で激しく情熱的に生きてきたそれまでの人生が、
おそらく一遍にそのような風格を身につけさせていたのだろう。
初対面なのに、なにやらオーラがすごいやつというのはいるのではないか。
一遍はまさにそういう人物だったのであろう。
その一遍が、死は穢(けが)れではなく美しき救済だと信じていた。
証明しろと言われたら南無阿弥陀仏のひと言で十分である。名号ゆえに死は美である。
このため一遍は信不信をえらばず、浄不浄をきらわず念仏札を配った。
以下、引用文中の[カッコ]内の言葉はわたしの補足になります。

「かくのごときの凡卑のやから、
厭離穢土(えんりえど)欣求浄土(ごんぐじょうど)のこゝろざしふかくして、
いきたへ[息絶え]いのちをはらむ[命終わらむ]をよろこび、
聖衆の来迎を期して、弥陀の名号をとなへ、臨終命断のきざみ[絶命の瞬間]
無生法忍[絶頂]にはかなふべきなり。南無阿弥陀仏」(P83)


「息絶え命終わらむをよろこび」

息絶え命終わらむときこそ喜びだというのが一遍の信心である。
名号を唱えながら絶命する瞬間に最高潮のエクスタシーが得られる。
一遍は自殺を禁止するどころか推奨さえしていたのではないか。
自力を放棄してすべてが他力ならば自殺もなく、それは安楽死のようであっただろう。
弘安五年(1282年、日蓮の没年)の記録にこうある。
もうこの時期には一遍は遊行集団を結成していた。

「この同年七月十六日にかたせ[片瀬]をたちてみやこ[都]のかたへ修行し給。
伊豆国三島につき給ひけるひ、日中より日没まで紫雲たちたりけり。
おりふし時衆[時宗]七八人一度に往生をとぐ」(P60)


繰り返し読んだが、これは集団自殺ではないのだろうか。
一遍の弟子がおなじ日に7、8人も一斉に偶然亡くなるはずがないではないか。
かといって、前後の文脈からするとまったく悲壮なおもむきがない。
追いつめられて自殺しているわけではないようだ。
「七八人一度に往生をとぐ」という記述からは、
ごくごく自然なことだという筆者の意図を感じる。
一遍の一切他力信仰にしたがうならば、自分で自分を殺す自殺などないのである。
ならば、このときも自力ではなくおそらく他力で「七八人一度に往生をとぐ」。
それともあるいは七八人がおなじ小舟に乗っていて転覆したのだろうか。
だとしたらば、これは事故死だが、
なにやらわざと念仏しながら水死したような信者もいたのではないかという気がする。
一遍の足手まといになることを嫌い、覚悟を決めた七八人が小船に乗り、
揺れにまかせてひとり、ふたりと水面に落ちていったのだとしたら、
これは自殺ではなく美しき自然死になるのではないか。
どうして集団自殺を疑ったかというと、すぐ次の段に自殺者が出てくるからである。

「武蔵国にあぢさかの入道と申もの、遁世して時衆にいるべきよし申けれども、
ゆるされなかりければ、往生の用心よくよくたづねうけ給て、
蒲原(かんばら)にてまちたてまつらんとていでけるが、
富士河のはたにたちより、馬にさしたる縄をときて腰につけて、
「なんぢらつゐに引接(いんじょう)の讃をいだすべし」といひければ、
下人「こはいかなる事ぞ」と申に、
「南無阿弥陀仏と申てし[死]ねば、如来の来迎し給と[一遍]聖の仰られつれば、
極楽へとくしてまいるべし。なごりを惜む事なかれ」
とて十念となへて水にいりぬ。
すなはち紫雲たなびき音楽にし[西]にきこへけり。
しばらくありて縄をひきあげたりければ、
合掌すこしもみだれずしてめでたかりけりとなん」(P62)


紫雲(紫の雲)が出たり西方から音楽が聞こえてくるのは吉兆である。
言うまでもないが、この「あぢさかの入道」は極楽浄土に往生している。
そもそも一遍自身が「南無阿弥陀仏と申して死ねば如来が来迎してくださる」と言っている。
「身命を捨つるが仏法の値なり」が一遍の教えである。
果たして、どちらが正しいのかはわからない。
なんとしてでもなにがなんでも自力をたのんで生き抜くのと、
その時が来たと思ったら念仏しながら西方浄土を目指して自然に河に入っていくのは、
いったいどちらが人間として正しいのか。
「一遍聖絵」からわかるのは一遍がいまでいうところの自殺を美しいと思っていたことだ。
一遍は自殺を正しい(善だ)とも言っていないし、正しくない(悪だ)とも言っていない。
善悪(正しい/正しくない)を超越したものが一遍の美しき南無阿弥陀仏である。
人間には善悪がわからないから名号(念仏)を唱えるのだ。
本書には一遍の没後、後を追って弟子の七人が海に身を投げたことが記載されている。
著者の彼(女)への評は以下である。

「身をすてゝ知識[師匠]をしたふ心ざし、半座の契、同生の縁、
あにむなしからむや[どうして胸打たれないでおられよう]」(P141)


正しいかどうかはわからないが、
おのおの信ずる仏法にまかせておのずから「身命を捨つる」のは美しい――。

☆ ☆ ☆

一遍のカリスマ性、スター性はどこから来ているのか?
そんなことを漠然と考えながら、簡単に一遍の歴史を追いかけたい。
愛媛の没落武家の子息として生まれた一遍は10歳のとき母に先立たれ、
はじめて無常の理を知ったという。
父の指示で一遍は13歳から25歳まで九州の聖達の下で仏教を学んだ。
聖達は少し変わっていて元は道元(禅!)の弟子だったという。
後に禅の教えを捨てて証空(法然の弟子)から浄土教を学ぶ。
一遍の教えに禅的な要素が入っているのはこのためであろう。
25歳のとき父の死をきっかけに故郷へ帰り還俗(げんぞく)する。
33歳にして一念発心して、ふたたび出家する。
3年間、修行所で念仏ひきこもり生活を送る。このとき得たという悟りが以下だ。

「十劫正覚衆生界[十劫という大昔に仏さまはこの世で悟りを開き]
一念往生弥陀国[我われは一念の念仏であの世へ往生する]
十一不二証無生[ならば十劫も一念も同一というのが真実で]
国界平等坐大会[この世も仏さまのあの世も実のところ同一である]」(P11)


あげく「衆生を利益せん」と思うわけである。他人のためになりたい。
最初は妻子を連れて旅をしていたが、
熊野権現から夢のお告げを受けてからはひとりになる。
熊野本宮神社で悟った真理は以下のような言葉になっている。

「六字名号一遍法[一遍の法は六字名号、南無阿弥陀仏のみ]
十界衣正一遍体[一遍の体はその時々に地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天とまちまち]
万行離念一遍証[しかし一遍の証はすべてを打ち捨てていること]
人中上々妙好華[要するに美しい花のような人間でありたい]」(P28)


このときから2年間、一遍はひとりで旅をしている。
かの念仏者にとってもっとも辛かった時期ではないかと思われる。
というのも、無一文で旅をしているわけだ。命は人々の喜捨(寄付)に頼るほかない。

「かくて念仏を勧進し給けるに、僧の行あひたりけるが、
七条の袈裟(けさ)のやぶれたるをたてまつれりけるを、腰にまとひて、
只(ただ)縁に随ひ足にまかせてすゝめありき給けり。
山路に日くれぬれば、苔(こけ)をはらひて露にふし、
渓門に天あけぬれば、梢(こずえ)をわけて雲をふむ」(P34)


食うや食わずの野宿生活をしていたことがうかがわれる。
38歳のとき、ようやくにして九州の金持から帰依を受ける。
おなじところではじめて弟子になりたいという2歳年上の坊さんが現われる。
一遍の人生は、このふたりのおかげで拾われたと言ってもよい。
最初の帰依者と弟子志願者は、一遍にとって大恩人であろう。
比叡山出身ではない一遍は、言ってしまえば低学歴で人脈ゼロのゴロツキ自称僧侶。
師匠筋もマイナーどころだから、
田舎坊主の親鸞でさえ法然の威光を借りられたぶんまだ一遍よりはましだろう。
だれかに偉い坊さんだと認められないと布教もままならないのだ。
しかし、一遍は人から評価されるようなものをひとつも所持していなかった。
知識は比叡山の学者に比べたら劣ろう。肩書は自称僧侶で、身なりは乞食同然だ。
そんな一遍にもただひとつ人様に誇れるものがあった。
「衆生を利益せん」と願う一心不乱の燃えるように熱い念仏信仰である。
ここから一遍の人生行路は結構とんとん拍子で行っているような印象がある。
同行する弟子も順調に増えていったようだ。
あるいはすべて「時」が決めていると後年の一遍は思ったのかもしれない。
踊り念仏は自然発生したとのことである。
そのときの説明にこう記載されている。

「しかるをいま時いたり、機熟しけるにや」(P41)

鎌倉入りは騎乗の武士にとめられたが、その夜、念仏の大フィーバーが起こったのである。
武士の刀に対してなお一歩も引かなかった一遍という坊さんがいると鎌倉で噂になったのか。
鎌倉中の人が山のふもとで念仏する一遍集団のところに集まり供養したという。

「昔達磨(だるま)の梁[国]をいで、孔子の魯[国]ををわれしも、
人の愚にあらず国のつたなきにあらず、
たゞ時のいたるといたらざるとなり。
しかあれば、今、このひじり[一遍]も人つゐに帰して、
貴賤こゝにあつまり、法いよいよひろまりて、感応みちまじはりけり」(P56)


あるいは一遍はおのれの無名時代、修行時代からこう信じていたのかもしれない。
このため「縁に随ひ足にまかせて」歩くことができた。

「しかれば時いたり機熟するとき感応をあらわす事なんのうたがひあるべき」(P58)

☆ ☆ ☆

さて、一遍につきしたがった時衆(時宗)メンバーはどんな人たちだったのか。
踊り念仏をしていたのは、いったいどのような男女であったのか。
一遍はすべてを捨てた聖(ひじり)であったが、
弟子の男女は捨てたというよりもむしろ捨てられた連中といったほうが正しいのではないか。
どうしようもなく地域共同体から捨てられた男女が一遍遊行集団に加わった。
集団定住生活からはみ出さざるをえなかったものが踊り念仏に集った。
村落共同体からいわゆる村八分のあつかいを受けたものの穢(けが)れが反面、
一遍の主催する踊り念仏では美となった。
死という穢れを六字名号で美に転換させたのが一遍仏法である。
同様、穢れた禍々(まがまが)しき人たちを集めて、
一遍はこの世ならぬほど美々しい創作ダンスをプロデュースしたのではないか。
このたび再読してとても気になった箇所があるのだ。
ここに一遍と時衆(時宗)の魅力を探る手がかりがあるのではないか。

「松島平泉のかたすゝめまはりて、常陸国いて給けるに、悪党の侍りけるが、
時衆の尼[女性出家者]をとらむ[犯そう]としけるに、
夢に僧のまたぶり[又になった木の枝]といふ物をもちたるがきたりて、
「念仏の行者障礙(しょうげ)[妨害]をする事不思議なり」とて、
その杖にてつき給とみて夢さめぬ。
すなわち中風[半身まひ、あるいは、てんかん?]して身もはたらかざりけるに、
彼男のおや[親]、この事をなげきて、
[一遍]聖のもとにもうでゝ事のよしを懺悔し、「たすけさせ給へ」と申に、
聖「われしらぬ事なり。いろう[診る]にをよばず」とおほせられけれども、
かさねてなげき申すあひだ、「さらばゆきてみるべし」とておはしければ、
すなはち中風なおりにけり」(P51)


この記述からいろいろなことが推察されよう。
一遍遊行集団は男女混合だが、尼さんはおばさんだけではなかったということだ。
邪心悪念にまみれた悪党から
「くうう、やりてえ」とギラギラした目で視姦されるような妙齢の女性もいた。
山林のすきまから水浴びする裸体の尼さんを覗き見て欲情した男もいたのだろう。
いささか妄想めいているが、美しすぎるというのはある種の穢れなのではないか。
美しすぎる女は男の淫欲を過剰に刺激するから集団の和を乱すのである。
ほかの女がおもしろく思うはずがないし、男を寝取られた女は、
亭主ではなく相手の女を憎むものだ。女が美しければそのぶんだけ憎しみも深まろう。
度を越した美はトラブルの誘因になることも多いのではないか。
醜さが業であるように美もまた業であり、この美の宿業は穢れの感覚と近いとは言えないか。
黒々とした過去を持つ現代の美少女が日常のすべてを捨てて華やかな芸能界に入るように、
鎌倉時代、旅回りの一遍踊り念仏集団に捨て身で入団した美しき女人もいたのではないか。
剃髪した聖なる美女ほど逆説的に世の野郎どもの劣情をそそるものはない、とも言えよう。
尼さんというのは性を捨てているから、逆に色気が出てしまうところがある。
そういう色気むんむんの美女が死さえ恐れず一心不乱に陶酔して、
破れかかった袈裟をまとい踊りによっては秘所をのぞかせながら過激なダンスをしたら、
これはもう人気が出ないほうがおかしいという話だ。

一遍の踊り念仏グループは、現代の言葉にするならばダンスユニットなのである。
プロデューサーの一遍から選ばれた踊り手はタレントの祖先のようなものではないか。
退屈な反復に過ぎない日常生活に我慢できない芸人タイプの男も、
死と隣り合わせの危ない雰囲気を発する一遍にかならずや惹かれたことだろう。
明日をも知れぬ一遍の創作ダンス集団に入ったものはみなどこかで穢れていたのだと思う。
定住集団者からは「穢れ」と忌み嫌われるような存在が一遍の時衆に加わったのではないか。
差別弾劾を恐れずにもう少し明確に書くと、穢れとは狂っていることだ。
鎌倉時代とはいえ、ある程度の確率で精神障害者、気違い、狂人は発生していたはずである。
狂った人間はおかしな言動をするから迷惑である。どうしていたのか。
当時、狂人つまり精神病患者を診ていたのが、
一遍のような聖(ひじり)であったことが引用箇所から理解されよう。
イエスやブッダがそうであったように一遍もまた腕のいい呪術医だったのではないか。
この場合の「中風」は現代の精神科領域の病気だとするとよく意味がわかるのである。
原因は本人のスケベ心だというのだから、まるで一遍は鎌倉時代のフロイトのようだ。
おそらく性と狂はどこかで交わっているという直感はみな持っていたのだろう。
引用箇所でも木と気で違うが(気違い!)、木の又の部分がどうだのというのは、
いかにもな精神病的妄想、精神病的突発連想で失礼だが笑いが込みあげてくる。

やはり一遍の踊り念仏世界は、現代の芸能界と親和性が高いような気がしてならない。
性(セックス)と狂(バカバカしさ)を売り物にしているのが芸能界だ。
我われは芸能人にあこがれるが本心では穢れと認識していないとだれが言えよう。
一遍のダンスワールドが異常な美を備えていたであろうと思う理由は、
踊り念仏が(禁欲生活ゆえの)性という穢れ、(放浪生活ゆえの)狂という穢れのみならず、
人間にとって最大の死という穢れをも内包していたからである。
それだけ性、狂、死という穢れはパワーを持っているのだろう。
ふだん「見ちゃいけない」とされているのが性、狂、死という穢れだ。
性、狂、死は隠すべきものとされている。
一心不乱に自慰行為に耽るのは人間ではなく畜生の猿にたとえられる。
一心不乱に恍惚とした人は狂人や気違いと見られよう。
愛するものの死体が腐っていくのを人はずっと見続けることができないだろう。
しかし、穢れは同時に美ではないか。穢れに救いがあるのではないか。

穢れ(死、狂、性)→踊り念仏→美

芸能界など裏側は狂った世界であることは大人ならだれもが容易に予想できるだろうが、
その狂騒的ないましかないというお祭り感覚がまた人の心をとりこにするのである。
人気タレントの中には新興宗教に入信しているものも多いと聞く。
過剰なセックスアピールや過激なクレイジーアピールが才能とされる世界だから当然だろう。
狂っていなければ人気タレントなどやっていられないという面もある。
受け手の我われはタレントのどこか狂ったところ、
突出した点(美)を愛しているのかもしれない。
周辺にいたらその突出は穢れとなって、いじめやシカト、村八分を起こさせる原因になる。
ステージの上やテレビの中で見るかぎりにおいて彼(女)らは美しい。
同様の意味で、宗教はトップが狂っていなければ人を救済できないだろう。
教祖(タレント)が狂っていなかったら、どうして信者が酔うことができようか。
おそらく我われは教祖やタレントの狂の部分に少なからず救われるのである。
非常識で非日常的な言動にこちらも解放されたかのような自由を感じる。
いちばん危ない狂っているやつは、死を恐れないやつである。
しかし、俗に「イッちゃってる」と言われるヤバいやつは、
それだけ多くの人を陶酔や酩酊に導くことのできるカリスマでありスターである。
話を鎌倉時代に戻すと、踊り念仏の一遍聖はまさに「イッちゃってる」のが魅力である。
どこに「イッちゃってる」のか。もちろん、極楽浄土である。
一遍が理想とした一心不乱は、現代で言う「イッちゃってる」状態である。
念仏を用いてせめて頭だけでも心だけでも極楽浄土に「イッちゃってる」状態になれ。
これがわたしを夢中にさせる一遍仏法の教えではないかと思う。
極楽浄土では禍々しき性・狂・死の穢れが、神々しき美として念々再生するのである。
言うなれば、一遍仏法は白黒ではなく総天然色の世界である。
最後にまとめとして捨聖(すてひじり)一遍の教えを
現代人にもわかりやすく書いたらこうなる。

1.変態性欲OK!
2.きちがいOK!
3、自殺OK!


*2年まえの感想↓
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