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歌わない歌

それを見たおかげで読んだおかげでいろいろ考えさせられるというのは名作なのだろう。
小説でも芝居でも映画でもドラマでもそうである。
しかし、音楽は演奏する(歌う)のも聞くのも酔うためであって考える対象ではない。
音楽は徹底的に思考を排除したひたすら自他の陶酔を求める行為である。
下戸(げこ=酒をのめない人)でもだれでも音楽になら酔うことができよう。
音楽のみならず小説、芝居、映画、ドラマも感動体験は陶酔と言ってよい。
後者が音楽と異なるところは、陶酔したのちに理由を考えるところにあるような気がする。
音楽は「いまここ」の忘我しかなく、またそこに固有の魅力があるのだろう。

生きる楽しみなんて、もしかしたら酔うくらいしかないのかもしれない。
人は陶酔するために生きているのではないか。
酔うとは忘我の境地にいたることだ。
くだらぬ自我を捨て去ることができたらどれほど気分がいいか。
たまたま運よく遺伝子的に下戸でないものが酒をのみ自我意識のレベルを落とし、
それぞれがそれぞれの歌を歌い盛り上がるカラオケは、
世知辛い理詰めの現代社会に残された最後の祭りなのかもしれない。

みんなが強制的におなじ歌を歌わせられる学校教育の合唱などよりよほど健康的だろう。
しかし、教育の起源は軍隊整備だから、音楽教育的合唱はやむをえないのかもしれない。
合唱は教育上必要なのだと思う。
思えば、歌うのが嫌いなわたしが中学生のとき、
音楽の時間の合唱で口パクすればいいことに気づいたのはほとんど悟りに近かった。
口パクすればいいのである。諸君、歌わずに歌え。
君が代斉唱で起立しない左翼教員の世間知らずにはまったくあきれてしまう。
四肢が自由であるならば、立って口パクすればいいだけの話なのである。

話を飛ばすがAKB48が口パクだのどうだのという議論があるそうだ。
なんでも口パクだとよくないということらしい。
意味は違うが、どうしてそんなに全員におなじ歌を強制的に歌わせたいのだろうか。
口パクというのは同調圧力の極めて高い現代日本社会を生きる智恵である。
みんなとおなじ歌を歌っているふりをして口パクすればかなり生きやすくなるのではないか。
もっとも合唱ではごまかせてもカラオケでは意味がないので絶対のテクニックではない。

思い返してみると、最後にカラオケに行ったのは20年近くまえである。
大学時代、イケメンでもてる当時の仲間ふたりのナンパに
一度だけつきあわせてもらったことがある。池袋だった。
イケメンでベシャリ(トーク)もうまい彼らは見事に女子高生ふたりナンパに成功。
カラオケに連れ込んだのであった。
初対面の人に声をかけられてついていく女子高生がいるのかと
(たとえ彼女らの容貌がそれほどでもなくても)当時は驚いたものである。
もちろん、カラオケをしたら料金はこちらが支払い「さようなら」である。
イケメンふたりはポケベル(時代を感じさせるでしょう)番号をゲットしたのだったか。
わたしは一曲も歌えなかった。歌うべき曲を知らなかったからだ。

ここまでこの記事をお読みになってくださったみなさまがいちばん驚かれるのは、
わたしにいくら大学時代とはいえそんな過去があったということではないか。
ちょっと自分でも自分の過去が信じられないところがある。
いまあのイケメンふたりはなにをしているのだろう。
おそらく結婚して子どももいると思う。それぞれの人生だ。
これは真実かはわからないが、わたしのたまたまの人生体験から判断すると、
イケメンはいいやつが多いような気がする。
大学生当時のわたしは青臭くてイケメンに嫉妬するということさえも知らなかった。

他人の作曲した歌、作詞した歌を歌えない人にも生きるすべがあるのではないか。
なーに、自分で作曲も作詞もする必要はない。
みんなで一緒におなじ歌を歌っているときに口パクをすればいいのである。
みんなはそれほど悪いものではないのかもしれない。イケメンと同様にである。

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