分かる分ける孤独

意識のレベルを下げすぎて(なんじゃそれ)感情がめちゃくちゃになっているので、
精神を安定させるためにだらだら酒でものみながら、
山田太一ドラマ「よその歌 わたしの唄」について思ったことを書きたい。
書くことでより深くわかり、また書きたく(わかりたく)なるのかもしれない。
自分のことではなく、国民的人気作家の話を書くのだからいいと思う。

新宿ツタヤのレンタルビデオで借りたドラマ「想い出づくり」で
強烈に記憶に残っているセリフがあって、
佐藤慶が児玉清に「田舎のえせインテリめ!」と言い放つのである。
笑いがとまらなかったものである。
いまなら放送コードに引っかかりそうなヤバいセリフなのかもしれない。
とうとうと正論を吐く世間知らずのえせインテリぶりもおもしろかった。

いまは人を傷つけかねないきついセリフを言える役者さんがいないのかもしれない。
みんなヤワになってしまっているのかもしれない。
悪いことではなく、優しい時代になったということなのだろう。
冷たい本音を相手に真正面からぶつけられるのも俳優(人間)のある種の才能ではないか。
「よその歌 わたしの唄」で登場人物が始終酒をのんでいたのは、
酔っぱらっているという設定にしないとセリフが口から出てこなかったのかもしれない。
奥さんを亡くした人に「おまえはおまえ、おれはおれ」は言いにくいだろうな。
「せいせいしたんじゃないか」とか。

イケメンは好きになれないのでわざわざ調べて名前を書かないけれど、
生意気な若い小僧がいたでしょう。あれ、テレビに出しちゃいけない人よね。
最初、カラオケのモニターに映る歌詞と違う歌をうたっていたでしょう。
キ(略)の人と紙一重じゃん。4回も5回もドラマを見たせいか、
「ツイッターでつぶやくぞ」のセリフを思い出して笑いがとまらない。
携帯を取り出す素早さとかナウすぎるぜ、山田太一さん!
「でかいことにするぞ」とか、なんか最高だよね。マッドでクレイジーでグーよ。
いきなり練習場で大声でうたいはじめるのもテレビに出しちゃいけない人っぽかった。
人の自宅にアポなしで訪問するって、「ゆきゆきて、神軍」の世界かよ!
ほんと人格がまとまってない若者だな。
でも、あのイケメン、最後はうまく歌をうたっている。どういうことなんだろう。

ダメね、おれ。人の気持だけではなく顔もよくわからない。
なにか障害があるのかもしれないけれど、人の顔の区別がよくつかない。
だから、映画やテレビは二度以上観ないとわからないのかもしれない。
シナリオで読んだほうがよほど作者の意図がわかるもん。
もっとも映画監督はシナリオなんか勝手に変えるのが業界の常識らしいけど。
よく知らないけれど。
そうそう、ひとり美人さんがいたでしょう。
昨日、調べて驚いた。おれと年齢がそう変わらない。じゃあ、おばさんじゃん。
20代前半くらいじゃないかと思っていた。
NHKのドラマは字幕で名前を出すけれど、年齢も出してくれないと設定がわからない。
あの子、いったい何歳という設定だったんだろう。
介護のおばさんもよく年齢がわからない。みんな若く見えすぎるんだよね。
十津川警部(渡瀬恒彦)だって、どこから見たって定年老人ではなく、現役バリバリでしょう。

十津川警部といえば、ほんとだれを犯人にしたかったのか。
作者の意図は、インテリが現実を知る、世間を知る、という設定だったのだろう。
元教え子のセリフにあった。「教授の現実体験ですね」
柄本明のセリフで思い出し笑いするのは、「面目(めんぼく)ない」。
どこのシーンだったか「面目ない」。
さらって言っていたけれど、いまの時代にいまのドラマで「面目ない」はなかなか言えない。
「あわよくば」おれも言いたくなってきたな。
面目ない。相手はぎょっとするんじゃないかな。
「面目ない」ってなに? 山田太一ランゲッジがおもしろすぎるぜ。
「手弁当」も新人ライターだったら視聴者が意味がわからないから変えられてしまうのでは。
いや、いくらテレビ局の人でも視聴者をそこまでバカにしてはいないのかな。
バカにしているのに批判が来るのを過剰に恐れるのはいい給料をもらっているやましさなのか。

「教授」「元教授」って声をかける言い方がみなさん優しすぎる。
だって、あれはバカにして言っているわけでしょう。キョージュ♪ とかやってほしかった。
モ・ト・キュージュ♪ って感じで。
人をバカにする楽しさを、日本人はうまく演じられないのかもしれない。
ストリンドベリとかユージン・オニールとか、
自分以外はみんなバカだと思っている人がよく登場するので好きだった。
人をバカにするほどの楽しみってそうないよね、なんて本音は日本人からは出てこない。

最初ドラマを観たとき新興宗教かなにかではないかって思った。
ふつうさ、はじめて声をかけられた人についていくかな。
それほど自己承認を求めている人たちという設定だったのだろうけれど。
それとも孤独な人が孤独な人を見分けたという設定かな。
いやいや、おれが現実を、世間を知らないだけかもしれない。
みなさん、芸能界へのあこがれはすごいのでしょう。
芸能事務所やテレビ関係の名刺を出しただけで、きれいなおねーちゃんが釣り放題なのかな、
現実というやつは、世間というやつは。

十津川警部が「いい」「いい」とみんなをほめまくるのはなんだったのだろう。
山田太一さんの自己イメージかな。
敵を作らない人というのか、人のいいところを見るというのか、
よく山田太一氏推薦みたいな宣伝を見かけるような気がするけれど、わからない。
けれど、教育や指導なんて、ほんとはほめるだけでいいんだろうね。
ひとりだけでもほめてくれる人がいたら、人間は変われるような気がする。
しかし、元教授は歌手でもないのに合唱団をおっぱじめるわけだ。
シナリオを書いたことがないのにシナリオを教えたがる変な人を思い出してしまった。

山田太一ドラマの老人パワーはすごいけれど、あれが現実ってもんなのかな。
だって、考えてみたら「ひとりカラオケ」って自己満足の閉じた心地よい世界でしょ。
いうなれば、うちみたいにだれにも読んでもらえないブログの世界。
まあ本人は楽しいんだからいいじゃん、放っておけば、みたいな。
「放っておく」のセリフは記憶では二度出てきたからドラマのある種のテーマだよね。
「放っておく」のはいいのか悪いのか。もちろん、答えなんかないんだけれど。
相手がだれかにもよるよね。
孤独なクレーン男、あれほんとは美人さんが目当てだったという設定なのかな。
さすがにあいつは元教授に引っかからないような気がするけれど。
性格の正直な、美人さんじゃないほうの女性は十津川警部のツラに参ったのはリアルだ。
あの手の人をドラマに出すのは難しいのだろうね。
芸能界にはおなじ顔の美人ばかりしかいないのに、どうしてみんな飽きないのだろう。
こちら識別不能。

山田太一ドラマはあとから思い返してクスクス変な笑いをできるところがいい。
そうそう、ドラマで難しいのは、現実感覚だよね。
自分の妻を人前でなんて呼んだらリアルかは、よほど世間を知らないと書けない。
年代によってものすごく変わるし。
変な人という設定で、ワイフとかカタカナにしちゃうのがいちばん楽なのかな。
そういえば、いしだあゆみ女史はきれいに「~~わ」の女性語を使っていた。
「ありふれた奇跡」はこのまえ全話酒をのみながら再視聴したのだが、
仲間由紀恵が4話か5話くらいまで「~~わ」をけっこう辛そうに言っていた。
いきなりストップしたから、だれかが指摘してしまったのかな。
いまでも山田太一ドラマベスト1は「ありふれた奇跡」。
自殺未遂者3人がネガティブにネチネチ、ネトネトやりあう最高のドラマだった。
わからないけれど「ひとりカラオケ」をする人って、
ストレス発散がうまそうで、あまり人の目を気にしなさそうで、
ということは心を病まないから、実際はあんまり孤独を感じない人たちなのかもしれない。
わからないけれど、わかりませんよ、現実は、世間は、人のことは。
わからないからわかろうとする。しかし、わからない。あるとすれば、これが答えでしょう。

※毎度ながら誤字脱字失礼。

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