どうしようもない遺伝子

昨日のNHKスペシャルをご覧になって衝撃を受けた方も多いのではないか。
ひと言で要約すると、かなりのところが遺伝子で決まっているということだ。
たとえば、アルコール依存症。
なかにはアル中になってしまったのは自分が弱かったから、
と反省していらっしゃる方もいるのではありませんか。
これは同時に、努力すればアルコールを断つことができるという思想でもある。
しかし、アメリカ発の現代最新医学はこれにNOという。
元からアルコール依存になりやすい遺伝子が存在するというのである。
つまり、遺伝子はどうしようもない。
アルツハイマーにかかりやすい遺伝子も、癌になりやすい遺伝子もすでに発見されている。
いわゆる生活習慣病になるのは、当人の行為(怠慢)が原因ではないと最新医学は主張する。
すべては遺伝子で決まっていることなのらしい。
それは出生前から遺伝子で判断することが可能だ。
すべてではないかもしれないが、8割方努力とは関係ないところで決まっている。
めったにいない天才も、努力の結果ではなく、要するに遺伝子である。
育児や子育てをどううまくやろうが遺伝子のまえではまったくの無力である。

この当面科学(50年後にはどうなるかわからない)が「正しい」と告げることは、
絶望も希望も生み出すと思う。
絶望は、いくら努力をしても意味がない、だ。
希望は、努力しなくても遺伝子のおかげででいい思いができるかもしれないということ。
そのうえ、かなりのところ遺伝子で決まっているならば、他人をうらやまずに済む。
「人は人(の遺伝子)、自分は自分(の遺伝子)」と思えたら、こんな楽なことはない。
当面科学的には遺伝子はほとんど絶対だが、しかし仏教では遺伝子など因に過ぎない。
原因の因だ。因果応報の因だ。ところが、人生は因で決まるわけではない。
いくら因があったとしても縁がなければその因は実を結ばない。
因だけではなにも生じず、因と縁が和合してはじめて果になるのである。
どういうことかというと、いくら因(遺伝子)が悪くても縁しだいでどうにでもなる。
どれほど因がよくても縁が悪ければ交通事故や犯罪被害、業病に遭遇してしまう。
結局、たとえ因(遺伝子)がすべて解明されようと(まあ絶対にそんなことはないでしょうが)、
人生も人間もさらさらわかったことにはならないのである。
遺伝子よりもはるかに「正しい」のは「一寸先は闇」という言葉だ。
「わからない」というのが、おそらくほとんど絶対的に「正しい」ことなのだろう。
それすらもたぶん絶対に「わからない」のだから、
やはり「わからない」は相当に「正しい」人生態度だと思う。
人生も人間も突きつめると「わからない」のだろう。

現代科学が教えられるのは因だけである。縁は科学にはどうしようもなく解明不能である。
ところが、かびくさい仏教には因と縁、つまり因縁を抱合する考え方がある。
遺伝子(因)を超えるもの――それを仏教では宿命というのだろう。

宿命(因縁)>遺伝子(因のみ)

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