死ぬか殺すか

だれもご興味をお持ちにならない過去ログにいちおう経緯は書いていますが、
わたしは自死遺族だからこういう過激なことを考えるのかもしれない。
人間というのは結局のところ「死ぬか殺すか」ではないかと思うのである。
自分を生かすか相手を生かすか。
自分を助けるか相手を助けるか。
自分を殺すか相手を殺すか。
だれかが生きているというだけでだれかを殺している側面が現実には存在するのではないか。
多くの人が目を背けたいことだろうが最終的には「死ぬか殺すか」になるのではないか。

生きろという。自殺をやめろという。ゲートキーパーになれという。
しかし、自殺を思いとどまったものの面倒をだれが見るのか。
いい気分の善人気取りで自殺をとめるのはいいが、
かの未遂者はどうやって生きていけばいいのか。
だれかが死ぬから別のだれかが生きられるのである。
高齢成功者(ほんといま日本にはびこっていますよね……)が死ぬから、
その空いたポストを後輩が獲得できるのである。
会社員が自殺したら欠員が出て、代わりにひとりが職を得ることだろう。
だれかが出世するということは、その何百倍、何千倍の失意のものを生み出す。
だれかが正しかったら相手は間違えていて、
そうなるとその相手は突き詰めると死ななければならない。
恋敵の親友を死に追いやったことで恋愛を成就するものがいよう。
親を直接的間接的に殺すことで生きる子どももいるだろう。
子どもを社会的に抹殺することで自分が世間的な評価を受け、
いま生き生きしているものもいるはずだ。

極論を言えば、人間はだれかを殺さなくては生きていけない。
そうだとしたら、だれかに「生きろ」と言うことは「殺せ」と命じているに近い。
共生は理想だが、どうしようもなく理念に過ぎず、生々しい現実ではないのである。
だれかが生きるためにはだれかが死ななければならない。だれかが殺されなければならない。
それでも生きるしかない。だれかを殺すしかない。わたしもあなたもみんなだ。
人間の生命は美しいものではなく、かなり残酷なものだと思う。
むしろ生者よりも自殺者のほうがよほど美しい。
わかっている。それでも生きよう。自分の代わりにだれかを殺そう。

COMMENT

aki URL @
06/22 02:05
. 勤め先の近所に
自死遺族をケアするクリニックがあるのを知って
先日の休日出勤のときに行こうとしました

クリニックの前までは行ったんですけど
隣がタイ料理の店で
なんだかそっちの方に行きたくなったんで
クリニックやめて、出直して、その日の夜はタイ料理ごはん食べました

うまかったですよ

Yonda? URL @
06/22 02:41
akiさんへ. 

思い出しました。
もしかしてあなた、いつだったか、
恋人が自殺したとかで匿名のメールをくださった方ですか?
その時期のメールはこちらのうっかりミスで消してしまい、
申し訳ありませんがいま確認できませんけれど。

なんと申しますか、その、傲慢なんでしょうが、
わたしは自死遺族の連帯や分かち合いは苦手です。
あなたがわたしを救えないように、
わたしもあなたをたぶん絶対に救えません。
いや、あなたがお若い美女なら十分にわたしを救えます。
けれども、とても救ってくださいとは言えません。
いやなやつで本当にごめんなさい。

こんなこと書いていいんでしょうかね。
重ねがさね失礼をお詫び申し上げます。
どうか当方の無礼をお許しください。
- URL @
06/25 00:21
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