中毒は楽しい

家族や親友がなにかの中毒症でお困りの方がいるかもしれない。
まったく罪悪感がなく逆に「自分は偉い(正しい)」と思っているのは仕事中毒、宗教中毒だ。
このため仕事中毒、宗教中毒ほどある意味で家族が困ることはないが、
それはもう宿命だと思ってあきらめるしかない。
ほのかに自責の念のあるのはアルコール中毒、パチンコ中毒、競馬競輪中毒、恋愛中毒だ。
仲間中毒(依存症)くらいは、まあ許してあげようではないか。
ちなみに麻薬中毒は日本では犯罪になるので注意しよう(そうではない国もある)。
中毒とは、不適切な表現をすればきちがいのことである。
仕事きちがい、宗教きちがい、きちがい水(酒)、パチンコきちがい、男狂い、女狂い。

いきなり答えを書く。きちがいは治らない。ならば、どうしたらいいか。
放っておけばいい。というか、どうしようもないので放っておくしかない。
いちばんよくないのは「私と○○(きちがい対象)のどっちが大事なの?」と聞くことだ。
なぜなら逆効果だからだ。事態を悪化させてしまう。
残念ながらきちがいさんはあなたよりもはるかに
仕事、宗教、酒、ニコチン、ゲーム、パチンコ、競馬競輪、覚醒剤のほうが大事なのだ。
中毒症とはそういうことだ。まさに毒に中(あた)っているのである。
当人にとっては、まさにその毒が薬になっているのだから仕方がない。
肝心なのは、相手のことを自分の都合で裁かないことだ。
中毒症の当人は(周囲の迷惑など知らず)最高に幸福なのである。きちがいは幸福なのだ。
だれかのきちがいを治そうと努力してもおそらく治らないだろう(ときに時間が解決する)。

であるならば、どうしたらいいのか。
本来答えはないのだが、こっそりここだけの答えを書く(お願いだから秘密にしてね)。
――あなたもなにかの中毒になればいい。トラキチでも釣りキチでもよろしい。
あなたもきちがいになったら相手のことなどどうでもよくなる。
なにかの中毒やきちがいになるとはどういうことか。
無我夢中になるということだ。我を無くすことだ。夢中になることだ。
現実の我よりもむしろ夢の中を生きることだ。

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