ピンチはピンチ

どう考えたってピンチはピンチでしょう。ピンチがチャンスなんかであるわけがない。
日本には、貧すれば鈍するという立派なことわざがあるわけだから。
たいがいはピンチになればなるほど、思考が凝り固まって自由を失うものだ。
だからこそ、ピンチがピンチに見えず浅はかにもチャンスに思えてしまうのだが。
しかし、人間は結局のところ最後の最後まで
ピンチはチャンスと言いながら死んでいくものなのかもしれない。
ピンチはチャンスだ、この試練を与えてくれた神に感謝しよう、なんてごまかしながら。
みんながみんなピンチはチャンスと言っていたら、ピンチはピンチには見えない。
記憶があやふやだが、どこかの国ではむかし神風が吹くことを信じていた人民がいたらしい。
わが国でもアベノミクス(ってなに?)で実際に景気がよくなってしまうこともあるのである。
そうだとしたら、ピンチはピンチと本当のことを言ってしまうのは大人げないのだろう。

ピンチはチャンスを最初に聞いたのは大学生のときの就職説明会だったか。
え、はあ? ピンチはピンチじゃないんですか?
なんてひねくれたことを考える大学生ではなかった。
いい言葉を聞いたとピンチはチャンスと手帳に大きく書き込んだものである。
小さな個人会社の社長さんが、変なハイテンションで叫ぶように言っていた。
いまこの業界はピンチなんです。ですが、ピンチはチャンスなんです!
たぶん、その会社はもう倒産しているはずだが、
つぶれる直前までピンチはチャンスだと思えていたのなら、
経営者にとっても従業員にとってもそれなりに有意義だったのではないか。
ピンチがピンチに見えずにチャンスに見えてしまう、
ピンチをチャンスと思いたいのが人間なのだ。

とはいえ、あながちピンチがチャンスではないとも言い切れない。
なぜなら、おそらく人はピンチにならないとリスクを負わないからである。
ピンチがチャンスになるようなときも少数ながらあるのだと思いたい。
ピンチにならないと思い切った賭けをすることができない。そのうえ、だ。
ピンチになるとけっこう思わぬところから救いが来ることもなくはないのだろう。
火事場の馬鹿力で思いもよらぬ才能が花開くこともあろう。
もちろん絶対ではないから、ピンチはピンチであることに変わりはないのだが、
ピンチはチャンスだと最後まで信じよう(=自分を騙そう)とするところに、
人間の愚かしさと輝かしさが結晶していると言えなくもない。
そして、客観的にはまったくピンチでないときに、
おのれをピンチだと思ってしまうのもまた人間である。
大半の自殺者がもしかしたらそうかもしれないし、そうでないかもしれない。
わからない。人の自殺の理由はわからない。本人にもわかっていないのかもしれない。
あるいは自殺などこの世になく、避けられぬ寿命が来ただけなのかもしれないが、
それは人間にはわからない。

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