世間知の有無

たとえば寺山修司と山田太一さんの作品が対照的なのは世間知の有無です。
ちなみに当方はこのところ世間をわずかながら知ったので、
基本的に故人はどんなに偉かった者でも容赦なく敬称なしの呼びつけで、
まだ存命の方にはできるだけ氏や「さん」をつけるようにしています。
さて、寺山修司の作品の大半は、世間知らずと片づけられなくもないのです。
だからこそ、当時の若者の熱狂的な支持を受けたわけです。
寺山修司とおなじ競馬文化人と言えなくもない山口瞳(男性作家)のご子息、
山口正介氏は寺山のアングラ芝居の大ファンだったそうです。
このためもあって庶民派作家の山口瞳は寺山の死後、
息子が好きだった作家の痛烈な批判を人気連載エッセイ「男性自身」に書いています。
具体的には、寺山は著作とは異なり大本命の馬券を手堅く買うような男だった。
死人に口なしだから、これに寺山は絶対に反論できないんですね。
それを知った上での山口瞳の暴露は、真偽もわかりませんし相当な意地悪です。
山口瞳は、寺山もしょせんは生活者だったのだとまとめています。
口ではロマンあふれるようなことを言っていたが、実はそうではなかった。
考えてみたらそれは当たり前で、
寺山だって世渡りをうまくやったからあそこまで出世できたわけです。
実際はそれほど世間知らずではなかったのではないでしょうか。

山口瞳は山田太一さんに自著をすべて送っていたそうです(「考える人」)。
まさか子分にしようという気ではなかったのでしょう。
しかし、それでも同族意識はあったのではないかと思います。
山田太一作品のどこがおもしろいかと言ったら世間をよく知っているところです。
つまり、人間はなんだかんだ言っても「肩書、金、顔」だ。
我われは日常から飛び立つことも、世間から逃れることもできない。
山田太一作品は、世間バンザイをやっているわけではありません。
世間をよくよく知った上で、そのおかしみ哀しさを書いていると言えましょう。
ということは、山田太一さんの側にも寺山的な反体制意識があるわけです。
世間というのは体制、もっと極論すれば多数派のことです。
どうしたら世間から叩かれないか。多数派の真似をすればいいのです。
わたしがどうして山田太一ドラマを好きなのかと言えば、
おそらくよほどの世間知らずだからではないかと思います。
山田さんがわかりやすく世間を描いてくれたおかげで、
ようやく多数派の考え方を(おもしろおかしく)知ったようなところがあります。
繰り返しますが、人間なんてしょせん「肩書、金、顔」だよ。
世間とはかなりのところまで、そういうものだと。
これをとやかく言うものは世間を知らない。

ところが、世間を知ればいいのかどうかはわかりません。
寺山はやはり世間知らずだったから、
うまくいったようなところもあるのではないでしょうか。
傍若無人な世間知らずはともすると自信家に見られ、世間の注目を集めるものです。
寺山があれだけ若くしてすいすい各方面で世に出た背景には、
圧倒的な才能のほかに世間知らずが功を奏したようなところもあるような気がします。
とはいえ、なにが「うまくいく」ことなのかはわかりません。
はっきり言えば、寺山のせいで人生の道を踏み外したような人もいたはずです。
寺山の子分のだれもが大学教授になれるわけではありませんから。
ラッキーな成功者と言えなくもない寺山のアジテーション(扇動)を真に受けて、
世間知らずな蛮行をして人生を棒に振ったような当時の青年もいたのではないでしょうか。
むろん、それが悪いことかどうかもわかりません。
きっと失敗者にしか味わえないような人生の触感もあるのでしょうから。
そう考えると、これまた世間知らずが悪いとばかりも言えなくなります。
山田太一ドラマに見られる通俗性がもし批判されるとするならば、
それは作者が事の良し悪しはともかく世間をよく知ってしまったからにほかなりません。
それにこんなことを言ったら怒られるかもしれませんが、
人生の辛酸をたっぷり舐めた苦労人の言うことなんて、
どれもみんな世間体を気にしたものばかりでつまらないんですよね。
そう考えると、もう青年とは言えない年齢ながら、
それでもうまく時流に乗り出世したからこそ(大変な努力もあったのでしょうが)、
山田太一さんの作品の独創が伸びたという可能性も否定できないと思います。

結論は、どっちでもいんでしょうね。どちらも正しいのでしょう。
寺山修司が好きでも、山田太一さんが好きでもどちらでもいい。
両者とも古臭いから嫌い、というのでももちろん一向に構わない。
世間知まみれの常識人も世間知らずの馬鹿者もどちらもいいところがある。
ということは、どちらにも欠点があるということになります。
わたしは相当な世間知らずだから、
山田太一ドラマのおもしろさが人一倍理解できるのでしょう。
かの脚本家も世間知らずの時期があったから、
厳しい自己批判を経て自作を深められたということもなくはないと思います。
わたしが寺山を嫌いなのは、自分と似た世間知らずの悪臭が鼻に突くからです。
まっとうな常識人はかえって寺山の破天荒ぶりに惹かれるのかもしれません。
そして、だれもが寺山修司や山田太一さんのように出世できるわけではない。
そしてそして、きっとそれでも一向に差しさわりはないのでしょう。
というよりも、人生はそんなものだと言い換えたほうがいいのかもしれません。
少しずつ世間を知っているのでしょう。
しつこいですが、世間知を増していくのがいいのか悪いのかはわかりませんけれど。
いや、やはり世間とうまく付き合っていくためにはいいことのはずです。
最後にひとつ嫌味を書いておくと、人にチップを上げるのが大好きだった山口瞳は、
自分が思っているほどに世間をよく知っていたのでしょうか。
そこには人間なんてどうせ金(チップ)だろうという、
逆に世間を舐めたところがあるような気がします。
あるいは、こういうことを書いてしまうのが世間知らずなのかもしれませんね。

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