聞き流せない

話すのは苦手だから聞き上手になるしか道はないのだが、
このところマスターしたいと狙っているのは説教や助言を聞き流すテクニックだ。
おそらく人よりよほど人間ができていないためだろう(ま、パンダなんだけどさ)。
最近はむかしほどではないけれど、説教や助言をされるとイラッとくることがある。
いやいや、相手は自分のためを思って言ってくれているのはわかる。
このため、近頃はかなり耐性がついてきたとは思う。
しかし、それでもコンディションが悪いとつい生意気な口答えしてしまう。
概して説教や助言はするほうが圧倒的に(理論上は)正しい。
正しいことを言われるからむかつくのだが、反論したら向こうの思うがままである。
相手はかさにかかって自説をたたみかけてくることだろう。
「そうっすね」「がんばりまっす」くらいに受け流すのがいちばんいいのである。
もちろん、目上の人に「っ」はいけません。「そうですね」「がんばります」――。

結局はこれが双方にとってもっともいいのではないか。
説教や助言はするほうが(高みに立てるから)気分がいいのである。
どうせ「他人は思うようにならない」のだから説教や助言をしないで、
と伝えても通じるわけがない。
繰り返すが、相手は説教や助言をするのが楽しいのである。
だれが自分の楽しいことを人から言われてやめるだろうか。
「はいはい」(はい、は一度でいい!)と聞くしかない。口答えをするな。
そうして黙って聞いていると、もしかしたら相手は気づくかもしれないではないか。
あれ? 説教や助言をしても意味がないのではないか?
こうなったらあらゆる意味で儲けものである。
まず、うざい説教から解放される。そのうえ、だ。
相手がいつもの説教や助言をしなくなったら、今度はなぜかさみしく思うものなのである。
そうすると、ふたたびなにかの折に説教をしてくれたとき、ありがたく聞くことができる。

本当にもう二度と説教をしてくれなくなったら、
そのときはじめて相手の言葉がこちらの心に届くのかもしれない。
とはいえ、そうはいっても、なかなか人は正しいことをできないのだが。
頭ではそれが正しいとわかっていても、人はなかなか行動に移せないのである。
酒をやめられない。煙草をやめられない。自炊できない。掃除できない。
貯金できない。減量できない。嫌いな人を好きになれない。許せない。優しくなれない。
なぜ説教や助言に腹が立つかといったら(これは不出来なわたしだけでしょうが)、
自分でも相手の言うことは正しいとわかっているからではないか。
だから、本当にいいのは、相手がいつもの説教や助言を始めたら、
こちらから、つまり自分から反省の弁を口にしてしまうことなのだろう。
そうしたら相手は言うこと(説教、助言)がなくなってしまう。
しかし、これは諸刃の剣で、後日相手に逆上される恐れがある。
「おまえ、あのとき自分の口から言っただろう」と正しいことを強制されてしまう。
やりたくない正しいことをせざるをえない立場に追い込まれてしまう。

このため、説教や助言はやはり聞き流すのがいちばん双方にとっていいのだろう。
なぜなら説教は、自分が偉くなったような気がして楽しいからだ。
なぜなら助言は、自分が善人になったような気がして心地いいからだ。
しかし、「他人は思うようにならない」から説教や助言をしてもあまり効果はない。
本当は、「他人は」ではなく「人は」思うようにならない、が正しいのだろう。
実のところ「自分も思うようにならない」。
ゆえに何度正しい説教や助言をされても品行は改まらない。
つくづく人(=他人、自分)は思うようにならない。
したがって、ときに説教や助言をうまく聞き流せなくても、
それはそれで仕方がないのだろう。まあ、人間なんてそんなもんさ。

COMMENT

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04/17 21:55
. そういえば、このごろ説教されていないな…、というぬるま湯暮らしなのですが、どこかの人生案内で拾った、「相性やセンスがあわないとコミュニケーションが難しい」という一文を付箋に書き、手帳に貼って、ここ1年ばかりは暮らしています。








 

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