うつ病でもいい

いままでの記事からわたしがうつ病に対して偏見を持っていると思われる方が
おられるかもしれませんが、むろんそんなことはありません。
自分だってわからないぞと思うからです。みなさまだってわかりませんぞ。
かぎりなく百%に近い確率で、精神科や心療内科に行き、
最近「やる気が出ない」「眠れない」「死にたい」と訴えたら、
だれでもうつ病になれるような気がします。というか、もうあれは国民病でしょう。
これは笑い話だけど、区でやってくれる35歳検診というのがあります(ありがたや)。
うつ病チェックシートというのがあるのです。
「死にたい」だの「生きる希望が見つからない」だの不穏なことがたくさん書いてあります。
で、なんか自分の心の声を正直に聞いたらぜんぶにチェックを入れたくなりましてね。
結局、どうしたか。ひとつもチェックを入れませんでした。
そんな完全健康な精神状態なんかこの世に存在するはずがないんですけれど。
宮本輝氏の「五千回の生死」ではありませんが、
「死にたい」と「生きたい」はほとんどおなじ意味だとは思いませんか。
死にたい人でも生きたい。生き生きしている人でもどこかで終わり(死)を求めている。
人間とはそういうものではないかとわたしは思っております。

しかし、うつ病だからといって偉いわけではありません。
うつ病は個性でもなんでもない。むしろ、個性からもっとも遠いものかもしれません。
というのも、うつ病患者とは、
精神科医がそう診断した対象というだけのことだからです。ただそれだけ。
ある人がなにかおかしな、いままでとは異なる精神状態になる。
このとき人は病院に行ってうつ病と診断されることで安心する、とも言えるわけです。
沈みがちな人は精神科医からうつ病という出来合いの物語をもらって安心する。
言い換えれば、もやもやしたその人だけの精神状態が、
定型の「うつ病物語」に固定され社会的に認知される。
こうして人は安心して「うつ病物語」を生きることができるようになるわけであります。
我われはわけがわからない自身の状態ほど怖いものはないのです。
このため、病院に行き「説明(物語)」をもらうことで落ち着きを取り戻します。
ネットのどこかでうつ病10周年を自慢している方を見かけましたが、どうなんでしょうか。
さぞお苦しいことかとは思いますが、
言ってしまえば他人の作った「うつ病物語」を10年生きているということです。
もう少し自分の物語を作ろうとしてもいいのかもしれません。
もちろん、20年でも30年でも「うつ病物語」を生きても一向に構いませんけれど。
なぜなら、我われ全員がそれぞれの物語を生きているからです。
だれも「うつ病物語」をバカにすることなどできやしません。
うつ病の方はうつ病のままでいいのだと思います。
たまたま治ってしまうのもいいでしょう。

あんがい「成功物語」や「出世物語」、「肩書競争物語」よりも、
「うつ病物語」を生きている人のほうが幸福かもしれません。
とはいえ、幸福もまた「幸福物語」と物語に還元されてしまうので簡単ではありません。
べつに「不幸物語」や「負け犬物語」を嬉々として生きてもいいのです。
もちろん、「勝利物語」でもいいですし、「大勝利物語」はもっといいのかもしれません。
出来合いの物語をどこかからもらって(買って)きてもいいでしょうし、
反対に苦労して自分だけの物語を作るのも、
たとえるならほかにない「おふくろ料理」のような豊かな味わいがあると思います。
そうはいっても、よほど能力のある人しか自分だけの物語は作れません。
出来合いの物語を生きるのもいい人生ではないでしょうか。
しかし、出来合いが好きな人は自分にこだわる人を攻撃しがちなので注意が必要です。
多数派はどうしても少数派を嫌いますから仕方がありませんけれど。
むろん、出来合いの「大勝利物語」の範囲内で自分の物語を作るのもいいでしょう。
たぶん、どんな物語を生きてもいいのでしょう。きっと、なんだっていい。

最後にみなさまにはどうでもいい自分の話(物語)をします。
いまカレンダーを見て気づいたのですが、もう20日近く咳(せき)が出ます。
おそらく、風邪でしょう。病院には行っていません。
なぜかと言うと、病院に行ったら風邪と診断されてつまらないからです。
えへへ、いま「結核ごっこ」をしております。
知らない人も多いでしょうが、むかし結核は文学病というあつかいだったんです。
繊細で感性豊かな文学の才能のあるものが結核にかかるという見方があったそうです。
当時は治療法がなかった結核の患者は死を強く意識せざるをえませんから、
かならずしも偏見とばかりは決めつけられないでしょう。
これは卒論担当教授の三島賞作家から大学の授業で聞いた話だったと思います。
あれは太宰だったかだれだったか、
ある無頼派作家が結核にあこがれてわざと排水溝の水を飲んだと聞きました。
結核といえば堀辰雄とか、いかにも文学って感じですよね。
ちなみに宮本輝先生も元結核で、このため、ゆえに、氏の作品は純文学なんです。
どこかで読みましたが、いま宮本先生は85歳まで生きることを予定しているとか。
むかしはインチキ文学青年で、いまはゴロツキ文学中年のわたしが、
ゴホゴホ咳込みながらそれでも病院に行かないわけをご理解いただけましたでしょうか。
それにしても咳がとまらない。そろそろ病院へ行くかもしれません。

COMMENT

- URL @
04/11 22:22
. はじめまして。
昔学生のとき、女子寮でいっしょだった医学部生に、
「咳は一回2.5カロリーの消費」といわれて以来、
あまりに咳き込むときは、わが身の体力の消耗を案じてしまうようになりました。
つい、心配になってしまい…。
このごろは咳喘息なるものもあるようです。
お大事に。
Yonda? URL @
04/12 02:28
名無しさんへ. 

ご心配、ありがとうございます。
今日(昨日)病院へ行きまして、お薬をどっさりもらって(買って)きました。
錠剤だけで5種類です。お金もかかりました。
なーんか、新米医師っぽく対応がういういしくてグウでした。
これだけ薬をのんだら、どれかかならず効くはずです。

お話が正しいのなら(いや正しいのでしょう)、
咳ダイエットなぞを考える愚か者も出てきそうですね♪
- URL @
04/12 23:38
. そんなに薬飲むのですか!

あったかくして、ゆっくりグーグー寝てください。








 

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