体験と物語

我われは体験というものをそのままでは味わえないようにできているのかもしれない。
体験を物語らないと体験の中身どころか輪郭さえ把握できない。
とはいえ、体験と物語はそのまま等号で結ばれるものではないから困るのである。
「体験=物語」ではなく「体験→物語」という関係にある。
このため、ある集団がひとつの体験を共有したとしても物語はさまざまとなる。
わかりやすい例をあげれば、離婚調停のとき、
長年ともに歩んできたはずの夫婦の言い分(物語)はまったく相容れないものとなる。
これはこうだと絶対的に定義できる体験などもしかしたらないのではないか。
しかし、我われの多くが過去の辛い体験に苦しめられている。
トラウマと言うほど大きなものでなくても、
あの体験さえなければと思っているものは多いと思う。

実のところ、それは体験に苦しめられているのではなく物語に苦しめられているのだ。
「あの体験さえなければ」という苦しみは、
実際はかなりのところ自分で創った物語に我ながら痛めつけられているのである。
物語という以上は、絶対的な真実ではない。
ところが、不幸な人は、あれ(体験)は絶対的な真実だとだれもが強調するだろう。
その体験の実相がたぶん物語にしかすぎないことになかなか思いがいたらない。
そうはいっても人はみな物語を生きているから、
その物語を喪失したら生きる張りがなくなって無気力におちいる危険性もある。
最悪の場合は自殺さえ起こりうると思う。
不幸な「体験→物語」が生きる支えとなっているものも、
愚かな自分を省みて少なくないような気がする。

物語はたいがいどれもが陳腐なのである。
いや、陳腐ではなく普遍的であるという見方もできるだろう。
果たして水戸黄門の物語は陳腐なのか普遍的なのかはわからない。
このときの物語とは、自分が善でだれかが悪だというお話のことだ。
「親が悪い」「教師が悪い」「周囲が悪い」「世の中(社会)が悪い」「運が悪い」――。
要するに被害者意識のことである。
かなりの人格者でも「あいつだけは許せない」というお話を持っているのではないか。
人生は教科書通りにはいかないから、
本来持つべきではないとされる恨みがガソリンとなって人を成功へ導くことも多い。
かといって、これまた教科書通りとはいかず成功が本当に幸福かはわからないのだが。

我われの多くが過去の体験に苦しめられている。
嬉々とした苦悩というものもあるのだろうからいちがいに是非を決められない。
というのも、愚痴をだれかに語る(物語!)喜びを知らないような聖人は少ないだろう。
人生には苦悩が絶対と言っていいほど必要なのである。
いくら健康によくても塩がまったく入っていない料理は食べられたものではない。
とはいえ、あまりに塩辛い人生というのもよくない。
不幸な「体験→物語」に苦しんでいるものに果たして救いはあるのか。
わたしはあると思う。救いはある。なぜなら生きていたら未来があるからである。
物語に未来を入れると、そのお話の毒々しさはかなり消えるのではないか。
いわゆるポジティブ・シンキング(前向きになれよ!)である。
ところが、このインチキくさい前傾姿勢を嫌うものもいる。
はっきり言えば、このわたし自身が嫌いだ。ならば、もう救いはないのか。
いや、まだ救いはあると思うのである。これまた未来が関係する。

未来は文字通り未だ来ぬものである。これはどういう意味か。
未来とは、なにが起こるかわからないということである。
もちろん、禍福のいずれが起こるかはわからない。
しかし、マイナスのことばかり来ると決まっているわけではない。
マイナスが来るかプラスが来るかわからない。人はそれを知りえない。
未来において我われは新たな体験をすることだろう。
こう考えたとき、人は物語を変えるチャンスを与えられているのではないか。
未来においてではなく、いま物語を変えることができる。
わかりやすく書くと以下のようになる。

「過去の体験→物語」→「過去の体験+未来の体験(=わからない)→新しい物語」

俗な言い方をすれば、人はほとんどかならず変わるということだ。
この将来における変節に肯定的になってみたらどうかと思うのである。
変節漢は悪人だと言うならば、我われのほとんどが悪人なのである。
悪人であるがために希望がある、とも言いうる。
人生における先行き不明は、
あるいは不安要素ではなく、むしろ安心要素になるのではないか。
かならず変わるのだとしたら、いまどれだけ苦しんでいてもいいことになる。
安心して苦しめばいい、という考え方もできるのではないか。
人を恨みたかったらたっぷり存分に心行くまで憎んで不幸になればいい。
どうせその不幸も10年、20年は続かないのだから率先してトラウマにこだわろう。
被害者意識を満面にさらけだし、常に悪口と愚痴を絶え間なく吐きだそうではないか。
善人ぶりたがるから苦しみが増すという面もあるのではないか。
いや、あなたは常に絶対的善で悪いのはあなた以外のものに決まっている。
それでよろしい。しかし、そのままで希望がある。
だから、そのまんまでいいのである、きっと。

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