人それぞれ

これほどかなしいことはないという真実に、
人はなかなかおのれの経験からしか意見をつむげないということがあります。
人はだれもが自分の人生しか知りえません。
しかし、その人生からしかものを述べようがないのです。ものを知りようがない。
「おれがこうだったからこうだ」としか言いようのないところが人生にはございます。
「おれが成功できたんだからおまえもがんばればできるだろう」
「あたしが犯罪をしていないんだから人殺しは最低」
「わたしはあのメンタルクリニックに行ってうつ病が治ったのだからあなたも」
「自分が酒(タバコ等の悪癖)をやめられたんだからだれでもできる」

毎日、各メディアで流れる多種多様な情報(意見、メッセージ)はすべて正しいと思います。
なぜなら、それぞれがそれぞれ固有の一回かぎりの人生経験を基盤としているからです。
どの論説も根本には自分の一回だけの体験を根に持っているから正しいのです。
けれども、体験はかなり個人の秘密の領域に属します。
重い体験ほど公言できないことが多いのであります。
まったくほんとうに、このことを知らない人は人生の幸運児でありましょう。
人生の重大体験はおもてざたにできません。いわゆる秘密になります。
とはいえ、人の意見をかたちづくるのは九割方体験であります。

古今東西、意見がさまざまなのは体験が人それぞれだからです。
そして、その体験なるものの源流をたどると、どうしようもなく秘密に行き着きます。
しかしけれども、その秘密を隠して、
たとえばデータ(数字)のようなものを根拠として人は意見を物語る。
あたかも自分の実体験とは関係のない客観的な事実のような物言いをします。
なぜなら、秘密はどうしようもなく言えないからであります。
人は、一見すると客観的な情報に託しておのれの秘密を語っているのかもしれません。
そう考えると、こうまで多様な意見がなにゆえ流れているのか少しわかったような気になります。

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