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「キューポラのある街」

「キューポラのある街」(浦山桐郎・今村昌平/雑誌「シナリオ」1969年10月号) *再読

→映画シナリオ。なんでこんなにこの作品が好きなのだろう。
とにかく好きなのである。
プラスというものは、マイナスがあふれていないと描けないのだと思う。
この作品の背景にあるのは、貧乏、アル中の親父、朝鮮戦争、悪ガキ、牛乳泥棒。
マイナスの豊かさにあふれているのである。
またマイナスがないと美しいプラスも描けないことがよくわかる。
しかし、時代はどんどんプラスを指向していくわけで、現代もこの先も、
たぶんもう絶対に「キューポラのある街」のような名作を作り出せないのである。
もちろん、マイナスの時代を舞台したアニメ「コクリコ坂から」のような傑作は、
可能性としてこれからもありうるのだけれども。
しかし、あれはアニメだからできたわけで実写では嘘くさくてできない。
だから、もう「キューポラのある街」のような名作は出てこないのではないか。

いや、そんなことはない。新たな物語の可能性もきっとあるのだと思いたいけれど。
たとえば、小説の話をすると、マイナスの時代の美しさを描いたのは宮本輝氏だ。
いくら天才の氏でも、近作「三千枚の金貨」では現代を舞台にしていないのである。
マイナスの時代を語り起こすという形式になっている。
エリートサラリーマンがむかしの苦労人の物語を知るという話だ。
いまはプラスばかりだから美しい話が描けないような気がするのだが。
もう可能性はアニメや時代劇にしか残っていないのではないかとさえ思う。
まあ、マイナスの豊かさをかえりみる、なんちゅうのは贅沢の極みなのである。
この映画が上映された時代に、「あなたたちは恵まれている」
なんて貧乏人の観客に言ったら殴り飛ばされてもおかしくないわけで。

姉弟の会話を抜粋する。姉は中3、悪ガキの弟は小5である。

弟「姉ちゃんも苦労するよな、こんな弟もってさ」
姉「何いってんの」
弟「そう思うよ俺、それに高校だって行けやしないだろ、
 赤ン坊は生まれるし父ちゃんは臨時の仕事ばっかりだしさ」
姉「あたし高校行くよ、どんなことがあっても、
 父ちゃんもそのうち何かあるわよ、希望もっていかなきゃ」(P109)


この姉弟のアル中の(たぶん中卒)親父がいいのである。
高校まで行きたいという小学生の息子に向かって名ゼリフを吐くのだ。

父「いいか、ダボハゼの子はダボハゼだ、
 中学出たらみんな働くんだ、鋳物屋で」(P115)


希望というのはマイナスにあふれていると出てくるものなのかもしれない。
いま貧乏は貧困と呼ばれ、貧乏は希望を生み出したけれど、
貧困は笑いの対象にしかならないような気がする(「苦役列車」)。
もう上昇の物語は描き尽くされてしまった感がある。
時代としては下降の物語が必要とされているのかもしれないが、
そんなものが多数派の支持を受けるかどうか世に問われるまえに、
いまは事前マーケティングでつぶされてしまう時代だから。
そっか、いま求められているのは下降の物語なのかもしれない。
もう少子高齢化でこの先、
日本がよくなるなんて本心ではほとんどだれも思っていないのだから。

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