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「猫だましい」

「猫だましい」(河合隼雄/新潮文庫)

→文学を教える日本最高峰でいまや大盛況の私塾、
猫猫塾の総裁が大嫌いな河合隼雄さんの本をうっかりまた読んでしまう。
猫にまつわる物語から河合さんは生きるいろいろな味わいを紹介する。
きっとこの心理療法家は、
臨床の過程でふつうの人は決して見ることのできぬ人生の深層を何度も見たのだろう。
しかし、職業上おのれに課した守秘義務のため事例は公開できない。
がためにこうして自分が見たことをフィクションの物語に託して語るしかない。
猫は仏教でいえば畜生界を生きるものだが、
本書で著者は畜生界を生きるのもまたひとつの生き方だと主張しているような気がした。
だいぶまえに読んだ本だが、
きっかけは宮本輝氏の「避暑地の猫」を読了したそのつながりである。
「避暑地の猫」はまさに畜生界を生きる人間たちの欲望にまみれた物語であった。
河合先生の本はかなり積ん読しているが、
せっかくだから猫つながりでこれを読んでみようと思ったのだった。
こういう方法はまさに河合隼雄氏から教わったものである。

私事を語ればどうも動物は苦手で、考えてみたら猫にさわったこともないかもしれない。
猫を愛撫するのはなかなかいいものらしい。
では、異性と猫のように愛撫しあうのはどうか。

「愛撫は人の心をとろかしてしまう。疲れやわだかまりが溶け、
人と人と、人と世界とが融合してしまう、至福の状態と言うことができる。
こんなことを知らない人は不幸な人だ。とは言うものの、
このようなことを経験する人は幸福だとも言えないのが、
人生の面白いところである。
もっとも、現在では金もうけをしたり、
地位が上がったりすることが幸福と考える人が多いようだから、
とろける世界の見事さを知ることが必要と思われる」(P196)


どっちなんだよ、と突っ込みたくなるが、
どっちも正しいことが実はたくさんあることをわたしは河合氏から学んだのだった。
たしかに猫は金もうけにも地位にも頓着しない。
近所に夜中、野良猫にエサをあげている人がいるが、あれも幸せなのだろう。
いや、猫には幸せなどないのだろう。畜生にはなにもない。
ほんとうは人間にもなにもないのだろう。
著者は谷崎潤一郎の「猫と庄造とふたりの女」を読み、次のような感想をいだく。

「悪とか闇とか破壊などと呼ばれることにこそ、
名状し難い美や味わいのあることを、
作者は示したかったのだろうと思う」(P212)


猫のように畜生界を生きる女性と愛撫しながら破滅するのもまた悪くない。
こう言っているのだろうが、これを心理療法家が言うとは。
クライエントを正しい生き方に導くのが心理療法家ではないのである。
美しい悪、闇、破壊にいたる道筋を猫のような存在が教えてくれる。
河合隼雄氏は思春期の少女は猫のようなものだと言う。
氏は思春期の少女が苦手で、クライエントとして来てもほかにお願いするらしい。
それにしても思春期の少女は猫だとはぎりぎりのことを言っているわけだ。
少女を人間よりいちだん低いものと見ているわけだから。
いや、そうではない。猫ははたして人よりも下等なのか。
思春期の少女たちは、自分を猫のように「異種」であると感じているという。
なぜなら人間(大人たち)とは言葉が通じないからだ。
自分たちが優位に立っていると思うことも(大人はダサイ)、
そのうち自分たちも人間(大人)になるがいまは猫なのだと感じている場合もある。

「強い「異種」感を味わっている少女に、
「あなたは人間と異なる動物だとすると、何ですか」
と質問してみるのも面白いだろう。
「猫」と答える子は多いのではなかろうか、猫の持っている、
独立性、不可解さ、優しさ、残酷さ、
などピッタリのところが多くあると思われる」(P217)


独立性を持った、不可解だが、優しさと残酷さを併せ持つ美少女とかいいよな。
まさに悪や闇、破壊に通じているような気がする。
期間限定でそのうち人間になってしまうというのもいい。
人間にならないで猫のまま生をまっとうするものなどいたらどれほど美しいか。
いまの美少女アイドルとか明るすぎてつまらないんだ。
不可解で残酷な美少女をなぜマスメディアは売り出さないのだろう。
美というのは悪、闇、破壊に通じていないと本物ではないと思う。
猫にひっかかれるのもまたいいのだろう。
今度、勇気を出して野良猫にでも触れてみようと思う。逃げられちゃうかな。

うちにいる猫と大熊猫↓
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