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「仏の発見」

「仏の発見」(梅原猛・五木寛之/学研M文庫)

→2年前の対談だけど、両先生ともお元気だよな~。
この人たちの業ってなんなのだろう。
やはり変な言い方になるが戦争を経験している世代は強い。
なまのいのちのありかたを身をもって実体験しているわけだから。
五木さんも満州から引き揚げてくるときに、まあ悲惨なものを見たようだ。
ロシア兵が女を要求してきて、だれを出すとかの悶着とか修羅場だよな。
女学生はやめよう、子持ちの母親はやめよう、とか。
で、泣きながらいやがる同胞の女をロシア兵に引き渡すわけである。
なかには帰ってこない女性もいたとか。
だれかを犠牲にしなければ生きられないのが戦争なのだろう。
いのちは地球より重いわけではなく、優劣があることをまざまざと知らされる。
やはり実体験ほど強いものはないのだと思う。五木さんいわく――。

「まあ、後世に名が残るような文学者、宗教家が、押しなべて、
人生の悲哀を心底味わうような経験をしている。
法然、親鸞や夏目漱石などに比べると、
私の悲哀などたいしたものではないけれど、その体験があったからこそ、
こうして、仏とは何ぞや、仏教とは、と考えさせられ、
いまこうして梅原さんに教えを乞うチャンスを恵まれているような気がします。
これも親鸞の言う「わがはからいにあらず」。
自然法爾、他力の計(はか)らいといってもいいんでしょうか。
何か、そんなふうに、これまでの悲哀を肯定したい気持ちになりますね」(P67)


知的興味から仏教に関心を持ったわけではないと主張しているわけだ。
さて、老人の対談は語られる内容よりもゴシップがおもしろいわけだ。
本書でもいろいろ楽しいよもやま話が出てくる。
井上靖が梅原猛さんの本を読んで、あれは小説だと言ったとか。
まったくそうだよな。梅原さんは学者じゃなくて作家だと思う。
というのも、恨みが強すぎるからだ。
本書でも梅原さんはまたまた三島由紀夫の悪口を言い放っている。
これは本当かどうか、わたしは嘘ではないかと疑っているが、
なんでも三島が「豊饒の海」を読んでくれと頼んできたとか。
この小説を仏教思想と読めるかどうか三島は梅原さんに質問してきたというのだ。
梅原さんは、これは仏教ではないと否定したという。
そのうえで、自分は三島に唯識仏教を教えてやればよかった、とかなり上から目線だ。
三島は自分に悪口を言われてかなりショックだった、
と人づてに聞いたとおかしな自慢までしている。
晩成の梅原さんは三島由紀夫のように若くして世に出たやつを許せないのだ。
その気持はほんとよくわかるが、それにしてもしつこいぜ!
いや、嫌いなだけではないのだろう。どこか好いているところもある。
いまや大学者となった梅原猛氏は告白する。

「まあ、太宰にしても、三島にしても、川端にしても、
やっぱり異常な人だったと私は思いますよ。
そういう異常な人がいなくなって、日本の文学は寂しくなった」(P173)


かくいう梅原猛もまた「異常な人」である。
「隠された十字架」を執筆していた時期など1日に80枚とか書いていたという。
異常ということは、狂っているということになるのだろう。
五木寛之さんもまた狂わないとものを書けないことを知っているようだ。

「まさに作家の仕事というのはミディアム、巫女とか霊媒だと思いますね。
ある意味では、イタコのような依代(よりしろ)になって、
お前はこれを語れ、という声が聞こえてきて、その声に揺り動かされて、
憑(つ)かれたように物を書いていくというふうな」(P93)


この本で知ったが梅原猛氏が仏教の勉強をはじめたのは40になったときとか。
いったいどんな声が聞こえてきたのだろう。
そこで狂ってしまう人と、梅原さんのように大成する人にわかれるのかと思われる。
とはいえ、わたしは梅原猛さんほど権力志向の強い人をちょっと知らない。
五木さんは自然に世に出てきたが、
梅原さんは力尽くで成り上がったようなところがある。
つぶされた人も多いのだろうが、それが歴史なのだろう。
わたしも梅原猛とおなじで「異常な人」が大好きである。

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