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「わが家の仏教 浄土真宗」

「わが家の仏教 浄土真宗」(四季社)

→あんまりこういう本音は書いちゃいけないのだろうが、
本書の序文で立派な肩書をお持ちの偉い先生が文章をご披露なさっているのだが、
それがもう本当に意味不明で、そのくせ偉そうで不愉快な、
あたかも自分はすごい真理を知っているかのようなことを書いているのである。
浄土真宗内部で出世するのは、むしろ浮世以上にいろいろ大人の事情があるのだろう。
かならずしも能力と出世が比例しないのは、もしかしたら実社会以上なのかもしれない。
こういう不穏なことは考えてはいけないのである。
肩書がご立派な人がおっしゃることは、正しいに決まっているからである。
しかし、いまの坊さんの言葉は、まるで校長先生の朝礼訓話みたいだと思う。
あれは偽善くさいものの子供向けのためまだ意味が理解できるのでよいが、
お坊さんになるとくだらぬ知識を誇るようになるから本当に始末が悪い。

本書を読んでいまの浄土真宗は死のにおいを消そう、消そうとしていることに気づく。
「正信偈」本文の「正定」なんて、
どう考えたって「死んでから浄土に往生すること」なのに、
解説では現世の話になっていて「真実に生きて往く道が定まる」ことだそうだ。
同様、「生死輪転」は生まれ変わり、つまり六道輪廻のことなのだが、
本書の現代的解説では「生に愛着して死を恐れて堂々巡り」することになっている。
親鸞の教えは死が中心にあって、ひと言で言えば死んだら往生できるに尽きるのだが、
いまの真宗は現代の風潮に同化して死の無視にひた走っている。
いまでも坊さんになりたい気持はあるのだが、
もし真宗に入ったら即破門されるような気がする。

「浄土真宗の仏事」の紹介では、とにかく金、金、金が透けて見えてうんざりする。
お坊さんを尊敬しましょうとか自分たちで書いてしまう坊主ってなんなの?
お金の包み方を自分たちで書くのはいかがなもんかい?
お車代を忘れないようにしましょうとか、どれだけ坊さんってやつは守銭奴なんだ?
儀式もいろいろあるようだが、どうしても金儲けにしか見えない。
いろいろな儀式を決めたのは、たぶん蓮如なのだろう。
親鸞は「お布施など不用」と言っていたことになっているのだが。
「なんでもOK! 女体もOK! 悪もOK!」の浄土真宗の坊さんは、
いちばん世の中でおいしいポジションのような気がする。
むかしの真宗が宿業なんたら言っていたのは、
自分たちの恵まれすぎたポジションは前世の功徳としか説明できないほど
うまうまとしたものだったからではないか。
ああ、生まれ変わったら真宗の坊さんの家で育ち、
長じてはうまいものをたらふく食い大酒を飲み、門徒からの尊敬を一手に集め、
しまいには愛人の2、3人は囲ってみたいものである。
そのためには現世で功徳を積まなければなるまい。
やはり今年の目標「人に親切にする」は間違っていなかったと再確認する。

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